麗ブログ

うらぶろぐ

うーん。

 ずっとしんどいなと思ってたけど、夫のやってることは一種のモラハラなんじゃないかと思う。子供がちょっと最近戸惑い始めていて何かそう気付いた。とにかくちゃんと話さない人だし、周りからすると突然訳のわからない理由で怒りだすように見える。今はすぐ機嫌も治るけど、子供が生まれるまでは一度機嫌悪くなると一週間から二週間不機嫌なまま黙ってた。ある日突然治って帰ってくるの。訳が分からない。
 兄嫁が以前、自分だったらとっくに離婚してると言ったし、結婚する時も共通の友人達からどこがよかったの? 何で? とか、いいと思うけど自分には合わないなどといろいろ言われてはいた。

 でも私には「普通」がわからないから何とも言えない。子供の様子にだけ気をつける。

小説書くこと

自作について。
よく、いらないことたらたら書いてるなと思う。その人(主人公)が物事をいちいち羅列して不特定の誰かに説明する几帳面な性格だってのもあるけど、じゃあ何で様々ある事象の中からそれを選んで説明するのかっていうと私が自分で引っかかって進めなくなってしまうごく個人的な拘りに囚われてるのと、私のお節介な性格のせいかな? って思う。

少なくとも私はいらないことを存在しない不特定の誰かに頭の中でいちいち説明しながら日々生活している。きっと私はごちゃごちゃを整頓して自分に説明してあげてて、いらない時でもそうやってごちゃごちゃが理解できた時の喜びと理解させてあげられた喜びを日々再現してるんだと思う。かな?  うーん。

何やってんの? いらないお節介してないでちゃんと書きなよって自分に言ってみても、書いてる私は忠告する私の言う事なんて聞かない人だから書けるんであって、忠告する私は小説書けないんだと思う。あれ、自分が何人かいるぞ? そして事態は案外深刻なんじゃなくて?
小説書けてるのかな私。

頑張りすぎた・3

 ストレスの積み重ねで高三の時に膵臓が壊れ入院しました。一生治らない病気になりました。
 今でも親に会うとストレスで頭が締め付けられ、頭痛、身体の強ばり、全身ザワザワ、血糖値が400を越えインスリンをいくら追加で打っても何時間も下がらない、という普段なら起こらないことが起きます。ここまで血糖上がるとさすがに何も食べられないので今日は夕飯が食べられませんでした。アドレナリンとか何かインスリンを効かなくするホルモンがどんどん分泌されているようです。身体はまだ頑張ろうとしています。

頑張りすぎた・2

 暴力は日常的にあり、不機嫌な命令形が常に飛び交った。ほぼすべてのことを否定されて育った。それが可哀想だったと無神経なところのある母ですら言っていたことがある。クラブ活動、習い事、趣味、交友、すべて反対され妨害され干渉された。中学受験はもちろん大学も大学院も受験校は第一志望から滑り止めまで全部親が決めた。
 「うちの方針に従えないならいつでも出ていっていい」と日頃脅迫されていたし、排他的で家族以外との深い交流を快く思わない親の妨害もあって実際動いてくれる大人もいなかったし、無知で馬鹿な私に家出、独立を思い立たせてくれるほど親しい友達もいなかった。
 もちろんネットなどなく、テレビやラジオを勝手につける自由もなく、自由に使えるお金もなかった。遠方の祖母が買ってくれると言ったが校則で禁止されていてウォークマンすら所有できなかった。個人の秘密の世界を持つことが許されなかった。学校の図書館と大学ノートの最後に残った数ページを引きちぎった紙束が主に私の自由な世界だった。それも檻の隙間から、短く小さい手の届く範囲でかき集めた小さい自由。何が普通か今もわからない。書いた文はよく細かく破って捨てたし、日記は勝手に読まれるのでわからないように隠した。当時こっそり書いた小説は級友の家に避難させた。
 受験については、親がどうしても国立理系の大学院までいかせて研究職に就かせたがったので、この選択が一生を決めると知っておそれをなし、高校2年になる直前に進路を理系から文系に変え、その高校では少数派の国立文系クラスに入った。当然ここでも例の家族の話し合いと称する糾弾が行われ、怒鳴られ嘲られ叩かれ何度目かで勝手にしろと言われた。
 話し合いは具体的には親の一方的な演説だ。私が文系に行きたいと話し始めたあたりで反射的に口を挟んで第一声でなじり、怒涛の文系批判となる。親はああ言えばこう言う天才で、何をどう言ってもどういう切り口からでもすべてを否定することができる。人の話を黙って聞けない多弁で自分以外を否定しないと気が済まない人だ。何十分でも一方的にしゃべるしあらゆる可能性を一つ一つ全部潰さねば気が済まない。ああやってもこうやってもどうせこうなって失敗する、そうしたらこうするしかなくなる、「こう言ったらおまえはこう言うだろう、だがそんなのは馬鹿馬鹿しくて話にならない、何故なら」とこちらの代弁まで勝手にし出す。口をはさんでもまともに取り合わないし、こんな強い否定はなかなかないと思うのだが「おまえがそんな馬鹿なことを思っているわけがない」「本当は他に何か別の意図があるんじゃないか」最終的には「お母さんに聞かれたくなくて嘘をついているんじゃないか」と何の根拠も無いことを言い出す。理系に行かない選択をするのがどうしても信じられないようだった。
 こんな「話し合い」で下手なことを言ったら母が犯人にされて「おまえのせいだ!」と余計な揉め事が起こるので、それを避けようとは努力したが、私の真の希望については考える余裕もなかった。親が金を出す、だから子には選択権がないというのがこの家庭のやり方で、子が何かの職業に就くという言葉は用いられずただ「子を~~にする」という言い回しだけがあった。
 「〇〇が好きで△△がやりたいから文系クラスに入りたい」と一番通用しそうな嘘をついた。本当は数学も化学も物理も生物もまったく授業についていけないのに理系に行ける訳がなかった。家から通える国立か高偏差値の私大しか受けさせてもらえず何浪もさせられる未来が見えた。家から通える、というのが大前提とされた。「そんな遠くにやる為にここまで育てたんじゃない!」とやはり親の意向で理系に行った大学院生の兄の進路を妨害した。
 親は「好き」という不確かな理由で将来を決める事に猛反対したが、もはや「好き」しか親の思う合理性に対抗できる根拠がなかった。「理系が嫌い」は弱音だとか逃げだとか否定的な評価しか受けようがないので。だから自分はやりたい事があると強硬に言い張って譲らなかった。それ以上は黙った。他に何をどう言っても否定され尽くし、それ以上言えることはなかった。何時間も、「やっぱり予定通り理系にいきます」と言わなかった。それを頑固だと評価されるならそうなんだろう。沈黙を通して時間切れ、とうとう粘り勝ちした。実際は好きな道へ進んだわけではない。中身なんて二の次だ。文系の中で親が好きそうな分野でしか説得できないと思ったからそれを挙げただけだ。私には深夜に及ぶ糾弾大会を少しでも早く終わらせこの先の人生を少しでも楽にしておくので精一杯だったのだ。私は頑張った。その頃はまだ、大学に受かりさえすれば楽になれると勘違いしていたから、無茶をして頑張った。

頑張りすぎた・1

 今日は頑張りすぎてしまった。過去に頑張りすぎて大変なことになったのにまだやろうとしていたのかわたしは。でも秤にかけてしまうんですよね。責められるしんどさと寿命。どこで線引きしたらいいのか本当にわからない。だって本当にしんどくて。

 実家にいた頃、家族の対話と称して引きずり出され、私が訳のわからない親の言い分を全部自分の意志で選びとるまで、いつも夜中の2時3時まで解放してもらえず立ちっぱなしで黙っているしかなかった。私はどうしても自分自身を譲り渡すことができなくて、はい、そのようにしますといつも言えなかった。私が叩かれたり二階の窓から投げ落とされそうになったりしたら母親も形ばかりかばってくれたものの、やっぱりそういう人と好きで結婚するくらいだから自分の夫が間違っているとは思っていない。おとうさんはああいう人だから(もっと上手くやればいいのに)、といつも言った。遅くまで付き合わされた不満から、最後はあんたも頑固だね、と私に言い捨てた。

今日泣き叫んだこと

 さっき泣き叫んでしまった。時々あるんだけど、心療内科の診断書の中に「PTSD」とあるのはこういう事に関係するのかな。私が突然泣き叫んだから子供も泣いてしまって、こういうのは子供が本当に可哀想だし申し訳ないと思う。どういうわけか「好きなように生きていいから」と子供は言って泣いた。私が好きなように生きていないのは確かだけどそんなこと言ったことは無いし、どうして幼児がそういう言葉を発したのかわからない。私が「もうやだ」と言ったから? 私が何度もそうなってきたから? すぐに今のはあなたのせいじゃない、嫌なのはあなたの事じゃないと何度も説明したけれど。どうしていいのか誰に言っても答えが貰えない。今の私の状況を誰にどう伝えたら助けて貰えるのかわからない。私の言葉はどうしても人に伝わらない。いままでずっとそうだった。その現実に絶望しそうになるけれど、子供には好きな子がいて、その子と26歳になったら結婚して家を出るから、それまでは生きていてと最近何故か何度も言うから、それまで生きる努力はしようと思う。

しんどいけど最強になった

 三十代後半で子供を生んでから不思議なことに急に生理が定期的に来るようになった。周期がぴったり過ぎてなにこれ! と不思議です。それまではっきりせずだらだら、来たり来なかったり数ヶ月来なかったりも普通だったのに。

 それから、四十すぎて風邪がちゃんと回復するようになった。それまでは一度風邪の軽い症状が出たら最後、悪化して数日寝込んだ後咳が二週間三週間、鼻水鼻詰まり急性副鼻腔炎とあれこれ続いて、苦しくて眠れないし薬も効かないしで休めないせいか一ヶ月二ヶ月と長引く。体調のいい時がほとんど無い印象だった。それが最近、あ、風邪かもと思ってすぐ栄養ドリンク飲んだり漢方薬(漢方も西洋医薬も以前は全く効かなかった)飲んだりしてあったかくして寝ると次の日悪化はしてない、引き続き寝てると次の日には大分回復。その次の日は健康。

なにこれ!
身体がサイボーグにでもなったのか。
おかしい。ありえない、子供の頃から1回もそんなことは無かった。身体が変だ、と思ったけどこれが健康な人の普通なのかな。

 考えられるのは、ストレスの低減。「ストレスで体調悪くなると自分で認めないといつまで経っても治らないよ!」と心療内科の先生が痺れを切らして言うので、はい、そうです、ストレスのせいです、と定期受診の度にしぶしぶ言ってたら(納得はしてない)、それだけで風邪が治るようになった。??

 少なくとも本当にストレスは減ってきている。実家と距離を置いてるのと子供が万年イヤイヤ期から脱しつつあるのと。よくわからないけれどすごい身体回復力、自然治癒力を手に入れたと考えるとわたし身体だるくてふらふらはしてるけど今が人生最強? と、一般的に身体の機能が衰えてくる頃になって感じてる。もっと早くこの能力が欲しかった。自然治癒力、あるんだと実感。