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うらぶろぐ

頑張りすぎた・2

 暴力は日常的にあり、不機嫌な命令形が常に飛び交った。ほぼすべてのことを否定されて育った。それが可哀想だったと無神経なところのある母ですら言っていたことがある。クラブ活動、習い事、趣味、交友、すべて反対され妨害され干渉された。中学受験はもちろん大学も大学院も受験校は第一志望から滑り止めまで全部親が決めた。
 「うちの方針に従えないならいつでも出ていっていい」と日頃脅迫されていたし、排他的で家族以外との深い交流を快く思わない親の妨害もあって実際動いてくれる大人もいなかったし、無知で馬鹿な私に家出、独立を思い立たせてくれるほど親しい友達もいなかった。
 もちろんネットなどなく、テレビやラジオを勝手につける自由もなく、自由に使えるお金もなかった。遠方の祖母が買ってくれると言ったが校則で禁止されていてウォークマンすら所有できなかった。個人の秘密の世界を持つことが許されなかった。学校の図書館と大学ノートの最後に残った数ページを引きちぎった紙束が主に私の自由な世界だった。それも檻の隙間から、短く小さい手の届く範囲でかき集めた小さい自由。何が普通か今もわからない。書いた文はよく細かく破って捨てたし、日記は勝手に読まれるのでわからないように隠した。当時こっそり書いた小説は級友の家に避難させた。
 受験については、親がどうしても国立理系の大学院までいかせて研究職に就かせたがったので、この選択が一生を決めると知っておそれをなし、高校2年になる直前に進路を理系から文系に変え、その高校では少数派の国立文系クラスに入った。当然ここでも例の家族の話し合いと称する糾弾が行われ、怒鳴られ嘲られ叩かれ何度目かで勝手にしろと言われた。
 話し合いは具体的には親の一方的な演説だ。私が文系に行きたいと話し始めたあたりで反射的に口を挟んで第一声でなじり、怒涛の文系批判となる。親はああ言えばこう言う天才で、何をどう言ってもどういう切り口からでもすべてを否定することができる。人の話を黙って聞けない多弁で自分以外を否定しないと気が済まない人だ。何十分でも一方的にしゃべるしあらゆる可能性を一つ一つ全部潰さねば気が済まない。ああやってもこうやってもどうせこうなって失敗する、そうしたらこうするしかなくなる、「こう言ったらおまえはこう言うだろう、だがそんなのは馬鹿馬鹿しくて話にならない、何故なら」とこちらの代弁まで勝手にし出す。口をはさんでもまともに取り合わないし、こんな強い否定はなかなかないと思うのだが「おまえがそんな馬鹿なことを思っているわけがない」「本当は他に何か別の意図があるんじゃないか」最終的には「お母さんに聞かれたくなくて嘘をついているんじゃないか」と何の根拠も無いことを言い出す。理系に行かない選択をするのがどうしても信じられないようだった。
 こんな「話し合い」で下手なことを言ったら母が犯人にされて「おまえのせいだ!」と余計な揉め事が起こるので、それを避けようとは努力したが、私の真の希望については考える余裕もなかった。親が金を出す、だから子には選択権がないというのがこの家庭のやり方で、子が何かの職業に就くという言葉は用いられずただ「子を~~にする」という言い回しだけがあった。
 「〇〇が好きで△△がやりたいから文系クラスに入りたい」と一番通用しそうな嘘をついた。本当は数学も化学も物理も生物もまったく授業についていけないのに理系に行ける訳がなかった。家から通える国立か高偏差値の私大しか受けさせてもらえず何浪もさせられる未来が見えた。家から通える、というのが大前提とされた。「そんな遠くにやる為にここまで育てたんじゃない!」とやはり親の意向で理系に行った大学院生の兄の進路を妨害した。
 親は「好き」という不確かな理由で将来を決める事に猛反対したが、もはや「好き」しか親の思う合理性に対抗できる根拠がなかった。「理系が嫌い」は弱音だとか逃げだとか否定的な評価しか受けようがないので。だから自分はやりたい事があると強硬に言い張って譲らなかった。それ以上は黙った。他に何をどう言っても否定され尽くし、それ以上言えることはなかった。何時間も、「やっぱり予定通り理系にいきます」と言わなかった。それを頑固だと評価されるならそうなんだろう。沈黙を通して時間切れ、とうとう粘り勝ちした。実際は好きな道へ進んだわけではない。中身なんて二の次だ。文系の中で親が好きそうな分野でしか説得できないと思ったからそれを挙げただけだ。私には深夜に及ぶ糾弾大会を少しでも早く終わらせこの先の人生を少しでも楽にしておくので精一杯だったのだ。私は頑張った。その頃はまだ、大学に受かりさえすれば楽になれると勘違いしていたから、無茶をして頑張った。