麗ブログ

うらぶろぐ

頑張りすぎた・3

 ストレスの積み重ねで高三の時に膵臓が壊れ入院しました。一生治らない病気になりました。
 今でも親に会うとストレスで頭が締め付けられ、頭痛、身体の強ばり、全身ザワザワ、血糖値が400を越えインスリンをいくら追加で打っても何時間も下がらない、という普段なら起こらないことが起きます。ここまで血糖上がるとさすがに何も食べられないので今日は夕飯が食べられませんでした。アドレナリンとか何かインスリンを効かなくするホルモンがどんどん分泌されているようです。身体はまだ頑張ろうとしています。

頑張りすぎた・2

 暴力は日常的にあり、不機嫌な命令形が常に飛び交った。ほぼすべてのことを否定されて育った。それが可哀想だったと無神経なところのある母ですら言っていたことがある。クラブ活動、習い事、趣味、交友、すべて反対され妨害され干渉された。中学受験はもちろん大学も大学院も受験校は第一志望から滑り止めまで全部親が決めた。
 「うちの方針に従えないならいつでも出ていっていい」と日頃脅迫されていたし、排他的で家族以外との深い交流を快く思わない親の妨害もあって実際動いてくれる大人もいなかったし、無知で馬鹿な私に家出、独立を思い立たせてくれるほど親しい友達もいなかった。
 もちろんネットなどなく、テレビやラジオを勝手につける自由もなく、自由に使えるお金もなかった。遠方の祖母が買ってくれると言ったが校則で禁止されていてウォークマンすら所有できなかった。個人の秘密の世界を持つことが許されなかった。学校の図書館と大学ノートの最後に残った数ページを引きちぎった紙束が主に私の自由な世界だった。それも檻の隙間から、短く小さい手の届く範囲でかき集めた小さい自由。何が普通か今もわからない。書いた文はよく細かく破って捨てたし、日記は勝手に読まれるのでわからないように隠した。当時こっそり書いた小説は級友の家に避難させた。
 受験については、親がどうしても国立理系の大学院までいかせて研究職に就かせたがったので、この選択が一生を決めると知っておそれをなし、高校2年になる直前に進路を理系から文系に変え、その高校では少数派の国立文系クラスに入った。当然ここでも例の家族の話し合いと称する糾弾が行われ、怒鳴られ嘲られ叩かれ何度目かで勝手にしろと言われた。
 話し合いは具体的には親の一方的な演説だ。私が文系に行きたいと話し始めたあたりで反射的に口を挟んで第一声でなじり、怒涛の文系批判となる。親はああ言えばこう言う天才で、何をどう言ってもどういう切り口からでもすべてを否定することができる。人の話を黙って聞けない多弁で自分以外を否定しないと気が済まない人だ。何十分でも一方的にしゃべるしあらゆる可能性を一つ一つ全部潰さねば気が済まない。ああやってもこうやってもどうせこうなって失敗する、そうしたらこうするしかなくなる、「こう言ったらおまえはこう言うだろう、だがそんなのは馬鹿馬鹿しくて話にならない、何故なら」とこちらの代弁まで勝手にし出す。口をはさんでもまともに取り合わないし、こんな強い否定はなかなかないと思うのだが「おまえがそんな馬鹿なことを思っているわけがない」「本当は他に何か別の意図があるんじゃないか」最終的には「お母さんに聞かれたくなくて嘘をついているんじゃないか」と何の根拠も無いことを言い出す。理系に行かない選択をするのがどうしても信じられないようだった。
 こんな「話し合い」で下手なことを言ったら母が犯人にされて「おまえのせいだ!」と余計な揉め事が起こるので、それを避けようとは努力したが、私の真の希望については考える余裕もなかった。親が金を出す、だから子には選択権がないというのがこの家庭のやり方で、子が何かの職業に就くという言葉は用いられずただ「子を~~にする」という言い回しだけがあった。
 「〇〇が好きで△△がやりたいから文系クラスに入りたい」と一番通用しそうな嘘をついた。本当は数学も化学も物理も生物もまったく授業についていけないのに理系に行ける訳がなかった。家から通える国立か高偏差値の私大しか受けさせてもらえず何浪もさせられる未来が見えた。家から通える、というのが大前提とされた。「そんな遠くにやる為にここまで育てたんじゃない!」とやはり親の意向で理系に行った大学院生の兄の進路を妨害した。
 親は「好き」という不確かな理由で将来を決める事に猛反対したが、もはや「好き」しか親の思う合理性に対抗できる根拠がなかった。「理系が嫌い」は弱音だとか逃げだとか否定的な評価しか受けようがないので。だから自分はやりたい事があると強硬に言い張って譲らなかった。それ以上は黙った。他に何をどう言っても否定され尽くし、それ以上言えることはなかった。何時間も、「やっぱり予定通り理系にいきます」と言わなかった。それを頑固だと評価されるならそうなんだろう。沈黙を通して時間切れ、とうとう粘り勝ちした。実際は好きな道へ進んだわけではない。中身なんて二の次だ。文系の中で親が好きそうな分野でしか説得できないと思ったからそれを挙げただけだ。私には深夜に及ぶ糾弾大会を少しでも早く終わらせこの先の人生を少しでも楽にしておくので精一杯だったのだ。私は頑張った。その頃はまだ、大学に受かりさえすれば楽になれると勘違いしていたから、無茶をして頑張った。

頑張りすぎた・1

 今日は頑張りすぎてしまった。過去に頑張りすぎて大変なことになったのにまだやろうとしていたのかわたしは。でも秤にかけてしまうんですよね。責められるしんどさと寿命。どこで線引きしたらいいのか本当にわからない。だって本当にしんどくて。

 実家にいた頃、家族の対話と称して引きずり出され、私が訳のわからない親の言い分を全部自分の意志で選びとるまで、いつも夜中の2時3時まで解放してもらえず立ちっぱなしで黙っているしかなかった。私はどうしても自分自身を譲り渡すことができなくて、はい、そのようにしますといつも言えなかった。私が叩かれたり二階の窓から投げ落とされそうになったりしたら母親も形ばかりかばってくれたものの、やっぱりそういう人と好きで結婚するくらいだから自分の夫が間違っているとは思っていない。おとうさんはああいう人だから(もっと上手くやればいいのに)、といつも言った。遅くまで付き合わされた不満から、最後はあんたも頑固だね、と私に言い捨てた。

今日泣き叫んだこと

 さっき泣き叫んでしまった。時々あるんだけど、心療内科の診断書の中に「PTSD」とあるのはこういう事に関係するのかな。私が突然泣き叫んだから子供も泣いてしまって、こういうのは子供が本当に可哀想だし申し訳ないと思う。どういうわけか「好きなように生きていいから」と子供は言って泣いた。私が好きなように生きていないのは確かだけどそんなこと言ったことは無いし、どうして幼児がそういう言葉を発したのかわからない。私が「もうやだ」と言ったから? 私が何度もそうなってきたから? すぐに今のはあなたのせいじゃない、嫌なのはあなたの事じゃないと何度も説明したけれど。どうしていいのか誰に言っても答えが貰えない。今の私の状況を誰にどう伝えたら助けて貰えるのかわからない。私の言葉はどうしても人に伝わらない。いままでずっとそうだった。その現実に絶望しそうになるけれど、子供には好きな子がいて、その子と26歳になったら結婚して家を出るから、それまでは生きていてと最近何故か何度も言うから、それまで生きる努力はしようと思う。

しんどいけど最強になった

 三十代後半で子供を生んでから不思議なことに急に生理が定期的に来るようになった。周期がぴったり過ぎてなにこれ! と不思議です。それまではっきりせずだらだら、来たり来なかったり数ヶ月来なかったりも普通だったのに。

 それから、四十すぎて風邪がちゃんと回復するようになった。それまでは一度風邪の軽い症状が出たら最後、悪化して数日寝込んだ後咳が二週間三週間、鼻水鼻詰まり急性副鼻腔炎とあれこれ続いて、苦しくて眠れないし薬も効かないしで休めないせいか一ヶ月二ヶ月と長引く。体調のいい時がほとんど無い印象だった。それが最近、あ、風邪かもと思ってすぐ栄養ドリンク飲んだり漢方薬(漢方も西洋医薬も以前は全く効かなかった)飲んだりしてあったかくして寝ると次の日悪化はしてない、引き続き寝てると次の日には大分回復。その次の日は健康。

なにこれ!
身体がサイボーグにでもなったのか。
おかしい。ありえない、子供の頃から1回もそんなことは無かった。身体が変だ、と思ったけどこれが健康な人の普通なのかな。

 考えられるのは、ストレスの低減。「ストレスで体調悪くなると自分で認めないといつまで経っても治らないよ!」と心療内科の先生が痺れを切らして言うので、はい、そうです、ストレスのせいです、と定期受診の度にしぶしぶ言ってたら(納得はしてない)、それだけで風邪が治るようになった。??

 少なくとも本当にストレスは減ってきている。実家と距離を置いてるのと子供が万年イヤイヤ期から脱しつつあるのと。よくわからないけれどすごい身体回復力、自然治癒力を手に入れたと考えるとわたし身体だるくてふらふらはしてるけど今が人生最強? と、一般的に身体の機能が衰えてくる頃になって感じてる。もっと早くこの能力が欲しかった。自然治癒力、あるんだと実感。

……朝になって

 夜の抗うつ剤が効いているのか朝には大抵元気になっている。あとストラテラで頭がすっきり。でも楽しくて元気いっぱいという意味ではなく、多分「普通の人」程度の感じでやっぱり朝は眠くてフラフラして手際も要領も悪く台所うろうろしている。「普通の人」だって絶対誰しもいい時悪い時あって、私はひどく悪い時しかなかっのがよい時も悪くはない時もある、になってきた。

 とはいえそれは前と比べものにならないかなりいい状態なので改めて昨日の続き、補足みたいなのを書くと(昨日何を書いたっけ)、きっとあの小説を書ききったのは私にとっての始まりで、書くことの始まりとも感じている。何かにこだわるのが嫌だと思って後ろめたく感じていたけれど自分に捕らわれたままでも私の頭は自由に思い巡らし手は自由に綴る。今は何の答えも求めていないけれど巡りあったものとは対話していきたい。

小説一個書きあげた

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 小説一個書き上げたんですよ。すっごい頑張って。自分としては書きたいようにほぼ書けたから満足。よかった。(だからなんだというのは他人からの視点なのでわからない)

 でもやること済んだらいきる意味みたいなのが無くなってしまうのが相変わらずで。すごく若い頃から自分は27歳くらいで死ぬだろうと思っていたので人生設計なんて本当はなくて(建前として、非常に真面目で全く中身の無い回答は用意されていたけれど実際は本当に驚く程中身がない)、精神的には何度も駄目になってたのですがやっぱり都合よい感じでなんて死ななくて、三十歳で結婚した直後限界がきて大学病院の心療内科に入院となりました。半年で家に帰ったけれど帰っても同じ。今からキャリアもスキルも周囲の理解も無いまま自分の責任で身体の病気も抱えて生きろと言われても……状態。結婚して実家出て初めて与えられたのは自由ではなくて尚干渉してくる親に監視電話メール攻撃されながらの自己責任、追い込まれた中で既に選んでしまっていた環境や経歴、そこに投げ出されて初めてわかってきた発達障害、つまり努力しても駄目だという現実。

 今も毎日抗うつ剤抗不安剤飲んで生きてるけれど「普通」には暮らせない。でも普通は装わないといけない。歯のくいしばりが酷くて顎もやられて奥歯も失いそう。ベロが常にギザギザで痛い。ストレスが原因となることの多いとされる症状が一通り身体に現れます。今年も両親が心療内科の私の主治医の元を表敬訪問した(通常は家族に病気の説明をする診察枠で、患者本人は行かない)ようで、お孫さんに会いたいとしきりと言ってましたと報告を受けました。いやコロナだし。主治医は信頼してて親に下手な事は言ってないと思う。

 とにかくまた小説を書かないと生きていけなくなりそうで、ここ二年くらい集めた医療の本やプラトンやなんかを読みながら今ほぼ形になっている小説あと二個完成させるか、それとも過活動で書き始めていたシリーズ四個目にいくか、また全然別の何かを書いてみるか、そうやって自分を保とうと思います。そうやってたら多分当分精神が生きてるから。やっぱり「普通」がわからなくて普通に人が読みたがるもの、適切なもの、評価されるもの、倫理的にまずくないものなんて考えて書けないけれど。
 エブリスタも頑張って三十何日か毎日更新してたけど市場的にそんな必要はないとやっと気づいて、頻度を落としたところ。でも小説一個終わったから今度はエブリスタ無意味に頑張るのもいいのかなあ??
これです↓
https://estar.jp/novels/25682316
どこかに貼っておこう。自分でもわからなくなるので。

 しんどいね、(ずんの飯尾さんみたいに)ごろごろーごろごろーしたらいいのにわたし。せめて最後、目標は日々の生活を楽しくしてみる、ということで。楽しくしたところで……と思いがちな私には現在好きな物探しを自分でおすすめしてみています。