麗ブログ

うらぶろぐ

別離の準備

「本当にそうなのかなあ」
と子供が言って、私は黙った。
「そうじゃない気がする事がある?」
少ししてそう聞くと頷いた。
 子供は赤ちゃんの頃からずっと夜を怖がって、眠るのが怖い、夢が怖いと言う。だから、ママが守るよ、ママはあなたの味方だよ、安心していいよといつも言い聞かせてきた。なのに今日初めて「本当にそうなのかなあ」と本音を吐露したのだ。確かに、本当には味方じゃないかもしれない。それは正しい。

 赤ちゃんの頃から、ずっと子供を愛してるふりをして、大好きだよと言い続けた。だから子供もママ大好きと必要以上に、明らかに必要以上に言い募った。まだ七歳で、私も自分はその頃まだそんな事に気付いていなかったから、まだもう少しは気付かないと思っていたけれど。
 私は多分、愛そうと努力はするけれど本当には人というものを信じていないし、全人類、世間一般を敵とみなしているところがある。そんな人間に子供を育てられるわけがないと気付いたのも最近のことで、知っていたら子供は産まなかったし結婚もしなかったと思う。子供が生まれた時から、どうしても拭えないこれは他者だという感覚、この子は病院で取り違えられたよその子ですよと言われたら信じただろうし、かといってそれで何か変わる訳ではない。血の繋がりなどどうでもよい、私に割り当てられたこの子を育て、守ろうという不思議な意志の力でこれまで頑張ってきたのだ。
 実際この子は生まれた時のあの子ではない。あの子はもっと小さかったし赤ちゃんだった。今は細胞も全部入れ替わって、身体的にはもうあの子ではない。私の細胞だったのは昔の話。この子は他人、多少似ていようが私とは何もかも違う別の魂、別の意思の塊、私ではないし、目に見えぬDNA、遺伝子など私にはどうでもいい話。別離の準備はとっくにできていた。

 多分、これでよいのだ。この子は賢いし、ちょっと感受性が豊かすぎるけれどすぐれた直感も持っている。狡さもちゃんとある。まだ小さいからこれからもとくべついちばんの大事な子、と言い続けるけれど、それも全くの嘘でもなくて私が上手くやれないだけ。上手くやる努力もしていこうと思う。上手くやれないのが親というものらしいから。
 人間に必要だという絶対的な安心感を子供の脳に植え付けられなかったことを心から申し訳なく、可哀想に思いながら、母子の別離の準備は着々と整っているのだ、この子は一人の人間になれるのだと、そこだけは安心して、私は密かに涙を流す。