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うらぶろぐ

体の調子がいいかということは…

頑張ったって体が良くなっていくわけではなくて、最低限のラインをギリギリ保ってるだけで、病院や薬局、医療関係の人に「体の調子はどうですか」と聞かれるのはつまり私がちゃんと頑張ってるか、しっかりやれてるのか、ということでしかない。私は一人でこんな大変なことを背負って常に頑張っていなければいけなくて、数値が悪ければ全部おまえの努力が足りない、と責められてきた。実際そうで、イライラして生活が乱れれば体も悪くなり、その事すらも責められて、ちゃんとやらないとしんじゃうんだよ、と脅される。自分の一番の主治医は自分だという事実も変わらない。そして毎日毎日体調が悪くなって、くらくら気を失いそうになって、吐き気がして、そういう、自分の管理能力がどうこう言う前に体がしんどいから心もしんどい。こんなん若い頃からずっと背負ってきて、この先も何年何十年、死ぬまでこうなのだと思うと、正直しにたいくらいしんどい。でも正直に落ち込んでいると、周りは優しさでもって私にもっと前向きに生きることを要求してくるのでそれもしんどい。移植できたらいいなと思いつつ、ずっとしにたいと思ってきた私が他の生きたい人たちを差し置いてできるわけもなく。そもそも移植が受けられる対象になれるまでは体が壊れていないから登録もできないし、国の制度的にも健常者と全く同じ扱いをされて、ギリギリなところで保障も無い。だって、頑張っていれば、健常者と同じだけ働いていれば払えるだけの医療費しかかからないだろう、もっと頑張れない自分が悪いという理屈で私は扱われてしまう。あー、私はずっと、常に周りは私を責めていると感じて生きて来たんだなと思う。そして私はそのような社会、いや世界全体に腹の底でずっと怒ってきたのだと思う。