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うらぶろぐ

3分、がわかるかも?!私

 コンサータを始めて、二週間以上経ちました。お腹が苦しい感じは最近薄れてきたように思いますが、もしかしたらそれに慣れてきただけかもしれません。以前ほど食欲が湧かないような感じで……でも普通には食べられます。

 

 以前、私は時間の感覚を把握するのが苦手、というようなことを書いたような気がします。いつどこにどんな風に書いたかあんまりよく覚えていないのですが……。時間を正確に認識することが可能かどうかではなく、自分なりに、大体これくらい、という感覚がなんとなく持てるかどうかという意味です。

 

 で、最近気づいて驚いたのは、「あと1分くらいしたら火をとめて」と言われて、1分くらいで多分だいたいできたことです。以前は頑張れば60くらいなら秒を測ることはできても、結構難しい感じはしていました。それが鍋の前で60まで数えて火を止めることができ、あれ、そんなに困難な感じもせずできたな?と思って、次に3分茹でるラーメンをタイマー無しで、時計を途中で1回位ちらっと見た程度で普通に茹でられました。っていうか、感覚が有れば確かにタイマーセットする方がめんどくさいかも……。

 

 私は1分、とか、3分、とか5分、とか言われても感覚として全然わからなくて、気付いたら平気で10分20分、っていうか忘れたまま当たり前に何時間も経ってるし、それくらい時間が経てば自分が何かをしようとしていたことも忘れているので、タイマーは必要でした。掃除洗濯等では、5分置いてから水で流す、とかいうのが結構あって、それもタイマーが無い場所では必ず忘れてしまう。

 火にかけているのを普通に忘れるので、15分茹でる煮物とかも絶対できないと思っていました。タイマーかけてても、15分経ったら大抵火加減がうまくなくて焦げてたり。15分も鍋の傍にいて火加減や茹で上がり加減を気にするなんて、途方もない時間に思えたし、実際じっと集中していられなくて、同時進行などできないのに別のことを始めてる。もともと「大体」というのができないので煮物の具材量や「ひたひたの水」、火加減弱め、の感覚なんかも全然わからなくて、「前回これくらいでやったらこうだった」というのも毎回忘れるしいつも同じにすることもできない。レシピで15分、だったら念の為10分くらいにタイマーをセットして、その後ちょこちょこ様子を見ても、何故か全然水が減ってないし硬いまま。じゃああと5分、あと4分、あと4分、とタイマーが鳴っては時間を追加して結局何故か一時間くらい経ってたりします。で、思ったよりぼろぼろに崩れ、底は焦げて、煮詰まってかなり塩辛くなっちゃってる。多分煮えてたら適当に止めていいんでしょうが、煮えてるくらいの硬さ、串を刺した感じ、とかいうのが感覚としてわからないし、味加減も何がどれくらい足りないとか多いとか全くわからない。煮汁と煮物本体の味の違いの感覚もわからないし。味見も苦手。薄いなあと思って足してたらとんでもない量入れてて、それでも何故か味は薄い。よくまぜてもほとんど塩みが無い。で、皿に盛って、食べてみると辛くて食べられない。結局どこでやめればよかったのかわからない。それに、レシピだと大抵、かぼちゃ〇個、とか、1/〇個、とかなので、その感じも全然わからず。私は売ってる店によって結構大きさ違うように感じるんですが。

  何十回やってる料理でも全然できるようにならなかったんです。醤油大匙1、酒大匙2、砂糖大匙2、味付けはこれいっぺんに入れるだけで終わり。というような単純な数値も覚えられない。一個一個何度も何度も手順の数だけレシピを見に行く。毎回。センチの切りで切る、だったら情報が3つもあって、3つも覚えられないから3回、レシピを見に行かないとできなかった(本が濡れないようちょっとだけ離れたところにレシピを置いていて、何歩かは歩かないと見えない)。何十回と同じレシピで作ってるのに。

 

 また、以前は歯磨きの時、3分間くらいは磨こうとして、数を数えてればいいやと思って60秒を3回測ってたら、数えるのに集中してしまって、歯のどこを磨いたのか、どこがまだなのかとかが全然わからないんです。だから何年も頑張った後、3分間砂時計を置いて対応していました。が、3分も歯磨きに集中してることができず、いつの間にか砂時計の砂が全部落ち切っていて、落ち切ってからどれくらい経ってるのか、少なくとも十分十五分、以上は磨いてる。またどこを磨いていてどこを磨いていなくて……ってのも本当にわからない。じゃあ時計を使えばと言っても、時計を見ても今が何時何分というのも1分間も覚えていられないので、(何時)何分ごろに始めたかもわからず、何分経ったのかが全くわからない。結局何してたのか歯磨きに関する記憶がなくてわからない。洗面所にもタイマーを置けばいいんですが、そう思うことがあっても、うがいしてくちを拭いたらタイマーのことなんてもう覚えていない

 

 歯磨きの間私が何してたかと言うと、集中できてない、つまり、全然別のことをあれこれあれこれ一生懸命考えていたようです。何かの言葉の意味や用法を自分の言葉で一生懸命説明しようとしていたり(誰に???って自分でも思うけど)。で、多分結構経ってる。部屋に戻った時の感じで、何か番組が変わってるなー程度にしかわからないけど。手は動かしていたようで手や口は疲れて唾もいっぱい出た感じがあるんですが、全然磨いた感じがしないし(自分の口の中がどうなっているかの感覚もよくわからないけど)歯医者ではいつも歯が汚れてると言われるので多分奥の方や裏の方は全然磨いていなくて、磨きやすい範囲を延々とみがいているような。

 

 

 でも、コンサータを始めてから結構、わかってる感じがします。例えば(〇時)47分くらいにさっき茹で始めた、今50分くらい、だから多分もういいや、ってわかる。で、適当に切り上げられる

 以前は、「時計は狂ってるかもしれない厳密でないもの」つまり曖昧だし、私はもともと47分、とか、51分、とかの感覚が、何かよりちょっと遅い、ちょっと早い(ぴったりより右とか左とか)、という感じでしかわからなかったので、「大体」に幅ができてしまう。例えば47分と51分、と言っても、下手をするとそれぞれ早め遅めに見てしまって、45分、53分、くらいに認識してしまう。必ず間違えるから用心深くなっているのもあり。これだけでも3分のはずが8分間になってる。更に、1分間は0秒~59秒まであるので、だいたい0秒に近いか、59秒に近いかという感覚もわからない。だから0秒~59秒の幅を前後それぞれ多めに見積もって、59秒+59秒で合計プラス2分。3分茹でようと思ったはずが結局10分は多分茹でていた(イメージ)。つまり、10分~以上ずっと鍋のそばにいるのに、あれ?いつの間にか汁が少なすぎる……になってます。麺が伸びてつゆも辛いし、いつもあんまりおいしくない(´д`)早すぎるのはダメだという強迫観念みたいなのがあったのか私……。

 

 そういえば、ストラテラを飲み始めた頃から、歯がだんだんきれいになってきたような気がします。磨いてない場所を自覚したり、この歯の裏、というのが目に入ると同時に頭に入ってる感じ。(以前は目に入らないし目に入っていても頭に全然入らない感じがしていた)。

 

 すごい私!

 っていうか、普通の人が大体1分、大体3分、大体5分、っていうのは、多分それほど正確でもなく、またその場その場の感覚だとしても、そういう感覚を持てるの自体がすごいなあと思います。私にとっては3分も1時間も感覚としてはそう変わらなかったというか……変わらないと言うより、どっちもわからないというか。キッチンタイマーで対応できない2時間、6時間、とかは本当に無理だった。目覚ましセットしても忘れてでかけちゃうし。

  メモするなど努力しても、そのメモをしたことも忘れるんだし。習慣づけようとしてもいつもどこにメモ用紙やペンがあるかもわからない。書いたのをどこに置いたかもわからない。でいつの間にかメモするのを忘れてる。忘れてる事も忘れてる(結構経って思い出すこともあるがどれくらい経ったかはわからない)。

 

 昔、カンニングペーパー作ってカンニングする人の気持ちがわからない、といつも言う人がいて、その人はカンニングペーパーを自分で書いて作ったとしてもその時点でもう覚えてるらしいです。だから、テスト中に見る必要ないじゃんって。無理じゃない???普通は無理なんじゃないの?私だけじゃなくて。その人は論理が得意な頭いい系とかではなく、テストでは簡単に覚えられる人、みたいで地元では一番のいい大学に行っていた。でも面倒なことははなからする気がないし全然覚えてくれない。そういう人、としか言いようが無い。

 

 結局、努力してもできないのであればそれはしょうがないことなんじゃないか……と。例えば、私は4次元を認識しろと言われてもできないです。え、皆できるのかな?できるの??訳わかんなくなってきましたが。私はただ、透明じゃない壁の向こうにある物が何なのかわからないように、薬飲まなければそういう多くの人が共通して持っている感覚でもよくわかっていなかったのかもしれないです。

 

 でも私も含めてだけど、「タイマー無くてもラーメン茹でられるようになった!」とかそういう一見つまらないことでも、できるっていうのは何でもすごいし、皆自信にしていいんじゃないかと思います。私だけできなくて人に迷惑をかけるのは本当申し訳ないけど……ある程度はお互い様と言うしか。。できないんだからしょうがないと思う。。私はよく怒られてたけど怒られたからと言って、自分を責めたからと言ってできるようになる訳じゃないのです。人目を気にしてわかってるふりをするよりも私に必要なのは、できない事柄にどう対応していくかきちんと考えていくことだと思いました。

 

 (自分で見直してわかりやすいよう太字などにしてみましたが、大袈裟な感じになってしまいました。)