麗ブログ

うらぶろぐ

黒髪のみだれもしらず

お題「好きな短歌」

 

黒髪のみだれもしらずうちふせばまずかきやりし人ぞ恋しき

和泉式部 後拾遺集755

 

 短歌ってやっぱり詩だし、もちろん定型詩だと正しい読み方ってのはあるんだろうけどそれ以上は受け取り方もひとそれぞれ、受け手側の持つ経験も心の持ちようも本当それぞれなので、変に思い入れの強い解説や現代訳を読むとちょっと自分の感覚と合わないように感じる時もあるので、私的な解釈などはおいておいて、これは文句なく三十一文字だけでぐっとくる歌だと思います。絵が浮かぶだけでなく、この彼女の感覚、実際感じたことのあるらしい手の感触、そして胸に浮かんでいるであろう言葉以前の彼女の思い、うちふし泣く彼女を客観的に見ている何者かの視線まで、私はこのような体験が無いのに心に呼び起こされてしまうという、そういうところが好きだなと思います。

 ~人ぞ恋しきというのはありふれた感じがして正直別に好きな終わり方ではないのだけれど、比喩や凝った言い回しを使わずただ「恋し」という単純な言葉であるのがやはり良いような気がする。それだから具体的なエピソードから普遍性が高まり彼女に引き込まれるのかもしれない。黒髪、みだれ、~もしらず、うちふす、~せば、まず、かきやる、~りし、を中心に(っていうかそれってほとんど全部)言葉の美しさと、リズムの良さに感動します。うちふせば、が私は一番言葉として好きです。「まず」が間に入っていることで前半と後半がそれぞれ際立って、それがきれいにつながっているなあと感じます。まず→恋しき、できれいに収束して。

 というあたりが、この短歌の好きなところです。

臓器移植とか

病気のことは別に書くことも無いと思ってたけど、まあ雑談ブログなのでいいや。書こう。
私と同じ病気のお仲間に久々に会ったり様子を聞いたりする機会があったんだけど、そのうち二人も臓器移植をしていたことがわかってびっくりしました。特殊な病気なので狭い世界かもしれないけど、そのなかで二人も……。私もできれば移植は受けたいけど、これは合併症が酷くなっている人が優先だから、今のところ私に順番が回ってくることは無いだろうと思って全然積極的には登録を考えていません。人工透析してるくらいの人は障害認定されてるし、絶対そういう人が、生きるために先にするべきだし。簡単に移植とか書いたけど、全然簡単なことじゃなくて、聞くところによると本当に大変みたいです。死ぬほどの痛みや辛さに耐えなければならないので、敢えてそれを選ぶ理由や勇気や覚悟なんて、今の私には無いのです。皆さん本当に楽になって欲しい。手術成功して定着して健康を手に入れた方々には一ミリの嫉妬も無く、ただ称賛と、よかったなあ、よかったなあ、という涙の出そうなくらいの安堵があるばかりです。臓器を提供して下さった方の命の尊さに値する、尊い人達です。
生きるということをまた考える。
……そして難しすぎてまだわからない。

均整、永遠など

 ロリポップの方でブログを書いていたのですが、そちらはもともと自分の病気関連ブログ→お人形ブログ→文芸関係などと変遷してきて、その合間に日々思ってる事やら何かの感想やら挟んで、訳の分からないことになっていました。リアルの知人の目を気にして書けないこともあったし、病気のことをあまり書かなくなったのに病気関連からアクセスして下さる方が結構おられたり、お人形ブログなのに時々モードが変わって文芸関連ばっかりに……等等なんとなくやりにくさがあって、こちらのブログも試してみることに。特に書きたいことを決めている訳ではないのでとりあえずは雑談ブログです。よろしくお願いします。あっちはあっちでやっていこうと思っていますが。

 

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 ↑これ買ったよーというのをまず書こうとしたんでした。模様とか、同じモチーフの繰り返しや、等間隔の線、単純な形や色彩の繰り返し、シンメトリーとかいうのが好きで、昔千代紙を集めていたりしたんですが、単純な形から均整のとれた大きな形にどんどん変化して複雑になっていく様子を見るととても美しいなと思います。モチーフが単純でも、永遠に並んでいるのを想像しながら見るとぽーっとしてしまいます。

 永遠、といえば、とても小さかった時に使っていた両手マグに、犬が全く同じ絵のマグを持っている絵がかいてあったのを思い出します。ミザナビームとかいう絵です。その犬が持っているマグにも犬がマグを持っている絵がかいてあったのですが、その先は絵が小さすぎてよくわかりませんでした。ああいう永遠に続くのではないか?と思われるものも好きです。ただ、私の両手マグには少々欠陥があって、実物は両手マグなのに、1つ目の犬が持っているのも2つ目の犬が持っているのも片手マグなのです。絵は同じだけれど1つ目の時点でもうそれそのものではなかった。そのせいで私は、この入れ子構造の絵が実は単なる一つの絵でしかなく、入れ子は永遠ではないことを初っ端から知ってしまった、観念の上で永遠が存在したとしても実際に永遠というものは無いのではないかと思ってしまった、漠然とがっかりした一番古い記憶です。その真実についてはわかりませんが究極的に均整がとれたものを子供ながら求めてしまっていたのを覚えています。

 

 

 十代の頃だったか、清川妙さんの「心に残る~~手紙」(タイトルを忘れてしまいました)という本を図書館で借りて、手紙の書き方の実用的なテキストでありながら作者の体験を綴ったエッセイぽい本だったと思います。こういう手紙をもらって、これのどこがどんな風に良いか、素晴らしいか、ということを実例を挙げて書いていて、清川妙さんの手紙への愛情や、送る相手、もらった相手への愛情、手紙を送ってくれた人からの愛情をすごく感じて大好きな本でした。実家の方の図書館の本だったのでもう手元には無いしタイトルも忘れていますが、なににつけてもここが好き、ここがいい、と延々と書いてある本ってやっぱり好きだし心に残ります。文句ばっかり言ってる私はしょっちゅう反省してます。

 

ゴシックハート (立東舎文庫)

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 ↑これも買いました。これは装丁が結構好きです。まだ読み途中。