麗ブログ

うらぶろぐ

本にカバー

 後暗い気持ちがあるから表では言えないけれど、表紙の絵が苦手で読めなかった本にカバーをかけたら、もう楽で楽で、本の内容を楽しむのに集中できるのが嬉しい。この本すごく好き。この小説好き。表紙に描いてあったと思う絵の人物が魅力的にしか感じない嬉しさ。

 何度でも言うけどその絵が嫌いなのではないです。Twitterで挙げてる本でもありません。絵を描いた方ごめんなさい。上手い下手ではないです。表紙に人の絵のある本が基本苦手で怖いです。(そうでない本もあります。逆に私が大好きな人物絵の表紙を描くかたもいます)

 二度文芸誌の新人賞に小説書いて送って、やっぱり私には無理だと気がつきました。応募するのに券が必要だから指定号の文芸誌を買って、もちろん読むつもりで買ったし、表紙を見てあっ、この作家さんの小説読んでみたかったんだよなーとか喜んで本屋から帰るのです、でも実はその文芸誌は毎号必ず男の人の顔写真が大きく載ってるのです。いざ読もうとすると怖くて開けないのです。

 とはいえ、大丈夫何も起こらないと頭ではわかっているから、読むわけです。小説読むの好きだし。楽しみに。すると今度は。……文芸誌って、文庫本などと違って挿絵が有るんですね。これに気づいてちょっとショックだったんですが、挿絵は人の顔でなくても苦手なことが多いようです、わたし。
 読みながら、表紙と挿絵が気になって気になって小説が頭に入らない。無理して読んで、数年前見たただの鯉のぼりの絵が、今でも憂鬱な記憶となって頭に刻まれています。

 結局ろくに読めないし、だんだん家にあの表紙のあの挿絵のあれがあると思うだけでソワソワしてくるようになって、その文芸誌から離れたいばっかりにすぐ処分してしまいました。
 すぐ忘れちゃってたけれど、考えてみたら同じことを何度も何度も繰り返してきたのです。投稿どころか、小説すら読めないんだ私はと、最近自暴自棄になってきました。もう文学新人賞みたいなものに応募するのはやめると思います。

 もともと雑誌が苦手でした。女性向けの雑誌に突然下着姿の男性の広告が現れてこっちを見てたりするのです。
 女性のモデルさんでも、その髪型は私の好みでない、嫌いな表情や顔の向き、体型、服装、なのにこっちをじっと見てる。やめて。じっとそのままでいないで。
 文章の部分と、広告の部分と、カタログっぽい部分と、雑然と入り交じって、とりとめがない。落ち着かない。ごちゃごちゃしてて頭が混乱する。唐突に話題が変わる。書く人が変わる。無理矢理切り替わってしまう。把握できない。苦手。

 昔、学校の図書館の本には表紙が無かった。文庫本さえカバーが外されて、皆同じ硬い無地の表紙板が付いていた。今思うと味気ないけれど、怖いものに出会う危険も少なかった。知らないうちに守られていたんだと認識している。もっと世の美しい本たちに出会う方が私には幸せなんだろう、私はいま綺麗な手製本やTwitterで見かける美しい装丁の本が好きだ。素敵な本も持っている。洗練されたデザインの本が欲しい。手触りの良い美しい紙、布が好きだ。それなのに、居心地の良かった学校の古い図書館を懐かしく思う。あそこは純粋に小説と対峙できる場所だった。小説のことだけ考えて夢中で本を読んでいればよかった。貧しくて不自由で、頭の悪い子供だったから。