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うらぶろぐ

好きな絵の話と美術の教科書が嫌いだった話

 美術の教科書が苦手だった。嫌な絵がいっぱい載っていたから。小学校から高校まで副教材含めて全部が苦手だった。多分中には単体で良いと思う絵も面白い解説もいくらか有ったのかもしれないけれど、私は嫌なもののインパクトをより多く受け取り過ぎる傾向が有ったんだと思う。気に入りそうなものは嫌過ぎる絵の圧倒的な存在感の前に全部霞んでしまった。教科書を作る人はきっと私に嫌がらせする為に嫌な絵ばかり載せるのだとまで感じていた。教科書の存在自体嫌。どのページも嫌な絵が有る。私個人に向かって「よく見ろ、こっちだ、これが本当だ」と醜い人間、歪んだ形、荒々しい線、気味の悪い色なんかを見せつけてくる。見極め受けいれる前に必死で目を逸らし続けた。まるで罵声や暴力のように立ち向かうのが難しい。絵というのはそれだけ強烈だと思う。美術は苦手だった。特に人の姿に苦手が多いみたい。

 そんな中、嫌いでない絵に単体で出会う機会があった。お祈りの時間だ。中学高校がキリスト教系で、季節ごとの宗教行事週間には昼休みに聖堂に行くとロザリオの祈りに参加することができる。帰りに小さな宗教絵が必ず一枚貰えた。時々美術作品らしきマリア様の絵があった。そこに何か書いてあるのだけれど外国語表記だし正体がよくわからなかった。ただ、Rapaelと書いてある絵は美しいなと思っていた。

Rapael
MADONNA OF THE CAIR
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Rapael
MADONNA OF THE GOLDFINCH
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Scipione da Goeta の MATHER OF THE DIVIDENCE
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ANGELICO の L'ANNUNCIAZIONE
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 らんんぬんちあ……検索したら、受胎告知みたい。Googleが即座に答えをくれて便利な世の中になりました。どういう場面かはさすがに当時から聖書で知っていた。これは全体が好き。構図とか色合いとか。

 こういったものを聖書に挟んで朝礼の聖書を読む時間にちらちら見ていた。


 そしてある時もらって嬉しかったのが、何度もあちこちで言ってるけど、最も惚れ込んだフラ・フィリッポ・リッピのマリア様。
これは現物ではなく本の写真。
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 これを見てやっと絵の作者を知ろうと、下に書いてある文字をヒントに何が何だかわからないまま図書室の百科事典を開きフラ・フィリッポ・リッピに辿りついた。(人の名前とは思わなかった)


 学園標語が「マリアさまいやなことはわたくしが」という、「マリみて」もびっくりの奉仕と謙虚清貧の精神を説く女子校で、その標語や聖母マリアの絵が教室はもちろん廊下やトイレ階段の踊り場等どこにでも貼ってあった。丘にもマリア像食堂にもマリア像ルルドの泉にもマリア様が……どこそこの聖母子像が夜中にバック転するという学園七不思議まであった。もともと人を見下して悪口ばかり言うのが普通だった私はあの学校に通わなければ何でも決めつけて馬鹿にしてかかる恥しらずな人間のまま社会に出ていたことだろう。とにかくマリア様は身近な存在だった。

 けれども、フィリッポリッピのマリア様に関しては、私にはマリア様ではなくルクレツィアさんという永遠のお姉様だ。世界で一番美しい女の人の絵。聖母マリア様には見えない。それに横におられる幼いキリストや天使や背景に全然関心が向かない。私が本当にこの絵が好きと言えるのかよくわからない。
 モデルとなった修道女の名前も画家との駆け落ち事件の醜聞もその百科事典を読んで知った。ルクレツィアさんは長生きしたようだし酷い苦労もしたかもしれないけれど幸せな時期も有ったらいいと思っている。ルネサンスの頃の女の人の境遇は苦難が多過ぎて説明を読むとしんどくなってしまう。

 ただ、この絵をしょっちゅう見ていて思ったのは、フィリッポリッピはルクレツィアさんの目も額も鼻も顎も眉も首も手も耳も肩も腕も身体皆美しく感じ全てが好きだったのだろう、ということ。彼の目には到底近づけもしないが私にもそれが皆美しく好ましいと思えた。

 芸術の類は昔から非常に成績が悪くついでに信仰心も私は知らないのだけれど、美にやっと少しだけ触れた出会い、というか美に惹かれるということを実感で教えてくれたのはこの絵かな、と思う。もちろん本物を見ていないし今も絵は基本的にどこか苦手。でも好きなこともよくある。何なのだろう。わからないからきっとまだまだ長く探っていけると思う。そうだ、いつかこの絵を見にウフィツィ美術館に行こう。