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うらぶろぐ

憶えられないのが私にとって普通ということ

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 結婚記念日なのを忘れていた。正直、数年付き合って結婚して、それから何年経ってもなかなか夫の名前や誕生日が正確におぼえられず、さすがにこれは間違えると不味いなと夫の実家で名前を出すときは大変気をつかってました。結構きちんとした家庭で、「常識を疑われる」のは不味い。今なら実は……と言えるかもしれないけれど今は今でそこまで自分を晒すのに危険を感じてもいる。

 うちの役場等に出す様々な書類を書く担当が私で、書きまくってきたせいで手と視覚で憶えたのが効果的だったのか最近は名前もさっと出てきます。生年月日を記憶のみで書こうとするとまだ1~3年、1~2日の誤差がある。子供の誕生日はわかるけど出生年が……。この辺は家族年表的なアプリや母子手帳で対応。母子手帳の表紙に書いてあるのが子供の生年月日ではなく手帳の交付年月日なのには何度も騙されてきた(あるある?ない?)。

 カレンダーはスマホホーム画面に2週間分表示されるアプリのウィジェットを。一目でわかるように見やすい絵のアイコンがあるのを探しました。曜日はもちろん漢字。月もお洒落にJuneとか書いてるのは駄目だった。ジョルテというカレンダーアプリはアナログ時計マークで10時半とか好きな時間選んでアイコンにできる。重宝。
 スマホ時計は年月日も日本語表記のもの(年、が無いのが多い)。とにかく必要な情報にはホーム画面からすぐアクセスできるようにしています。電話やTwitterアイコンは別のページに追いやった。
 Twitterはやっぱり全然使いこなせない。使いこなさないことにした。

 昔からの知人に言うと全然ADHDには見えなかった、むしろ逆だと思ってたと言われることもある。そう見えてしまうのもしんどい。結構結構、例えば軽量カップ使うと「感覚でわかる!(わかれ)」と叱られて育って念入りに工夫しないでやり過ごすように生きてきたけど、なんだ全然悪くないじゃん、むしろ生きやすい。私は間違ってない。と、最近は楽に生きる努力をしています。好きがわからないというか自由に考える習慣が無かったのでイメージするのは苦手だけど、人に口出しされなければ工夫するのは得意なほうだと思う。なので、自分がそっちへ向かえるようにするのがいま私の理性の仕事と思ってしている。