とあるネガティブな話

 明けない夜は無い、冬はやがて春になる、ということは私もこれまでいろんな人に言われてきたけれど、


「冬来たりなば春遠からじ」


という文のように、これはもともと、シェリーの詩「西風に寄せる歌」から誰かが日本語に訳したもののようで、原文は、


If Winter comes, can Spring be far behind ?


となっているようです。最後にはてなマークがついてますね。そのように、日本語訳ではもとは、遠し、に、「じ」という打ち消しの推量(~まい、~ないだろう)を表す助動詞が付いています。冬がこうしてやって来たのだ、このようにやって来るのだ、だから、春は遠くないだろう、という感じでしょうか。(あるいは願いを込めた、「遠くないにちがいない」)、遠くはあるまい。だから、とにかく、本当に近いとは限らないし、そもそもちゃんとした希望通りの春が来るかどうかはわからない。何十年に一度の、と言いつつ異常気象は毎年どこかで何らかの形で来ていて、春とは言っても何故か異様に寒いまま梅雨入りしてしまうこともあるし、また時に嵐も来るし、早すぎる台風、それからそれから、振り返れば春のうららかな日差しなど、特に日本では年に数日あれば良い方なのかもしれないとも思う。それでも春は春と暦通りに言って納得しようとしている。そうする他無いのだし。

 明けない夜はあるかもしれないし、春はとても遠いかもしれないし、来ないかもしれない。必ず来るという断定は、昔の人にもできなかった。冬はそれだけ厳しかった。だからこそ、春が来る願いを言葉に込めていたのかもしれない。それで、わずかな春らしい数日を素直に喜んだのだ。あたたかい日差しが心に染みるその感動は、多くの人の生きる希望となりうるほどのものだったのか。


 努力はほとんど報われないし、物事は何もかもうまくいかないことが多いし、自分にはどうしてもできないことがあるし、結果はいつも絶望的だったりする。心の持ちよう、なんて言葉は虚しくて、実際苦しむ人はとことんつらい思いをしてしんでいくし、苦労を知らない人は何故かいつも知らないままに見える。苦しみはほどほど、で済めば運が良い方。

 私も春は来ないもののようにずっと思ってきて、今でも来ないと思っている。それでも多分、私は春を経験したことがあるし、その美しさを知らないという訳ではない。
 人生の苦しさを知っている人は、知っているからといってどうなる訳でもない。ただ生きられるところまで生きるしかない。
 それでも多分、全く春を知らない訳ではない。