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うらぶろぐ

鬱っぽくなる時

 多分、私は自分が悪いとか自分に価値が無いとかは全く思ってないんだけど、多分、理不尽にきつく責められるとか、わけのわからないことで突然怒鳴られるとかいう、物心ついてから何十年もずっと有った環境が普通だと感じて生きていたから、他人も理不尽に私を責めたり文句付けて来たり、訳わからないことで突然キレたりすると思い込んでいるんだと思う(それはそれで或る意味自己評価が低いということになるのかも)。というようなことを心療内科で先生に相談しようとするんだけど、いつも一言目で「何でだろうね?」とか余計な口を挟まれて?(いきなりそう言われると、え、何どういう意味??先生何言ってるの?って何が何だかわからなくなる)多分、結局全然話せていないんだと思う。正直よく覚えてないんだけど。この辺が普通の人にはわからないのかもしれないけど、そういうことが私にはよくわかんないし、よく覚えてない。いきなり予想外の言葉を聞くと訳が分からなくて自分が考えていたことが思い出せないのと、その後一回でもちゃんと言いたいことが話せているのかとかも考えても記憶に無い、また、言い方を間違えた、と思いつつ何度か言い直してる記憶から余計先生に変な間違った情報を与えているのかもしれないけどその辺も自分ではすぐ忘れてしまう。私は先生にこう言い直したでしょ!って思うけど、考えてみたら言い直してないのかも。それも忘れてる。ADHDが皆そうなのかはわからないけど私はそう。

 自分では何度も何度も先生に話しているような気がするんだけど、やっぱり伝わってないんだと思う。で、先生は先生で思込みが強いと言うか自分の言いたいことをすぐ言わないと気が済まないみたいで、何故か変な方へ話を持っていかれているような……。入院してた時にものすごい量の文章を書いて提出していて、そこでもしつこく書いていたからそういうことは伝わってる気がしていたけど、私が書いたと思うことも「そんなことあったっけ」と言われるのでわからない。私は文章では何度も見直しできるからより正確に自分の考えを書くことができると思うんだけれど、それも伝わってないのか、先生が忘れてるか。量が膨大過ぎて。結局私は何のヒントも得られていないし。半年間くらい入院してたんだけどその間のことは今全く思い出せない。時々思い出せる時もあると思うんだけど。

 

 病院での治療のこともそうだけど、そもそもそういうしんどい家庭環境にある場合の子供って、普通だったら、よそで人間関係を作って良くも悪くも家庭以外の影響を受けるとか(グレるのを含める)、頭が良ければ長年かけて密かに下準備して、就職などの時に突然ぱっと遠くへ逃げる、という手段をとるか、どちらかが多いんじゃないかと思う。少なくとも私の周りの家庭環境があんまり良くない(本当に良く無かったり、立派な立場だけど所謂ワンマンで厳しすぎの親だったり)子ってそのどっちかだったと思う。私はそういうことすら思いつかなかったのかなあ。家族がすごく排他的だったしよその人と関わるのを嫌がられてたからあまり人と関わらなかった。私の場合は(やっぱ発達障害のせいかわからないけど)一人で生きる準備もできてなかったし家出するよりはましな人生かもしれないけど。私は恵まれた環境で飢えずにぬくぬく生きてきていたことを認めている。

 でも、自分の人生って一体なんだったんだろう、とか、これからもこのまま何も自分のしたいことができないままなのかな、そもそも自分のしたいことってなんだろうそれすらという思いにふととらわれて、しんどい。

 鬱っぽくなるのはそういう時で、周りの言ってることがよくわからなくてついていけないし、言われてみれば当たり前のことが混乱してなかなかわからなかったり、また未だに周りが意味もなく私をきつく責める、怒鳴りつけると思い込んで行動してしまうパターンを自分ではどうしようもなくて、でも心療内科医は全然頼りにならないし……。

 一回、ADHDの検査の時に臨床心理士さんに接するチャンスがあったので、不安を訴えたことがあるんだけど、「長年あなたを診ている心療内科の主治医が一番あなたを理解しているから、先生と一緒にやっていくのが一番いいのではないか」ということを言われた。でも、その一番わかってくれてるはずの医師がここまでわかってくれないとなると、本当に世界中の誰にも私の言ってる事は通用しないのかもしれない、という気はする。失礼ながら先生が若くてポンコツなのかもしれないと思ってたけど。昔親にも、一番身近な家族さえ説得できないのに社会で通じる訳が無い!!と言われていた。それは結構理不尽な言い様だと言ってくれた友達はいるけれど。そういえば友達や先輩は皆、その親のやり方考え方がちょっとおかしいと言ってくれていた。でもそういう友達も含めて、本当に誰に話しても自分の言いたいことが通じない、違うところばかり反応されて手ごたえが無い感じがするし、ではちゃんと通じるような努力はしたのかというと(←こう「甘えるな、その努力はしたのか!」と、冷静に思うんでなく怒りの思考がすぐ浮かぶというのも、いつも他人はどんな理由も事情も関係なく常に厳しく私を責めると思い込んでいる例)、まだ努力が足りないんじゃないかと思う。でもどういう努力をどういう風にすればいいのかが全然わからない。

 

 ということで、今現実的に家族のことで一つ大きな物事が片付いたところだけど、気が抜けたのかふと我に返り、からっぽのままの自分に鬱になっている。でもこれも「まだ」からっぽのまま、だけどこれから本当は満たされるべき本来華やかで魅力的な自分、と思ってるところがもしかしたらまた病的なのかも。汗。誰もわかってくれない、イジイジっていうより、どうしたらいいかわからなくて途方に暮れてる……。