人の目は脅迫で……

 心療内科の先生にも話が全然伝わらない、となるとやっぱり私に問題があるんだろうとは思うけど、伝わらないのが本当イライラしてしまう。相手もイライラしてるんだろうか。

 結構あれなんだな、見栄っ張りで人に馬鹿にされるのがどうしても我慢できないからつまらないことにも馬鹿にされてるように感じてイライラしてしまうんだけど、自分で「自分なんて駄目だ」なんて思ったことも言ったこともないのに、現実にできないことが多くてイライラ、とか過去に持病をはじめから話すとバイトですらいつも雇ってもらえなかったから今も雇ってもらえないかも、とかいう話をしてたら先生に「自分のちっぽけさに気付いたと言うわけですね」と言われ、結構カチンときた。今ちっぽけと判断したのは先生で私じゃないじゃん。。。私は自分は人とは違う能力のある結構すてきな人なのに、世の中ではそういうんじゃなくて病気じゃない、とか発達障害がない、とかいうのを求めて、私はすごい努力してやっと人並みの学校行ったりいろんな活動したりもしたのに、できないところ、欠点ばっかり見られるという話のつもりだったのに、その私を先生は「ちっぽけ」と言うんで。滅茶苦茶否定しておいたけど。自分をちっぽけなんて思ってない!自分は他の人に無いような能力がある!みたいに。痛い人だけどいいの。っていうか正直そうなの。こういう、「痛い人みたいだけど」というのは「他の人は痛い人だと判断するかもしれないけど」という意味でいつも言われる前にいれてしまう習慣があって、私は自分が痛いと思ってるわけではない。こういうのが逆にいけないのかな。でも客観視もどうしてもしたい。

 というか、本心では↑のように自分を買い被り過ぎてナルシストになってるけど、あんまりそういうこと人前で言うべきではないだろうという空気の読み方をしていると、突然「もっと自信持てば」と言われて、びっくりしてしまう。「あなた自己評価低いでしょう」と言ってきたのは同級生達とか、お医者さんとか(何科か忘れたし医師患者としての関係ではなくただの知人)、子供の保健師さんとか、(ついでに親も、おまえは自信が無いといつも言う)。少なくとも「自己評価」という言葉を普段使うことがある人も結構多いのに。かと言って自分はいろいろできる、私はあれこれバリバリやるよ、他の自分あげ発言してると「もっと現実見なよ」、といろんな人に言われてしまう。調子に乗ってると軽く見えるのかもしれないけど。自信持てと言う人と現実見ろという人は全部別の人達なんで、人によって全然違う風に見られているのか。少なくとも、「痛い人みたいだけど」と前置きせずに「私は素敵な人でしょ?!できることもいっぱいある。それなのに雇わないなんて皆オカシイ」とか実際日々そこまで親しくもない人の前で言うもんじゃないと思うんだけど……私のことを自己評価が低いと言う人は、そう思ってるならちゃんとそういう風に何の前置きもせず言うべきと思うんだろうか?良い悪いではなく、本当に私にはその辺の感覚がわからない。私は魅力的だ、才能がある、なんて堂々と往来で言わないほうがいいと思うんだけど。日本人だから。間違ってるのだろうか。これは省みて自分に問いかけてるだけで、自分が間違ってると言う結論ではないです。←これは伝わるのかなあ……。

 

 でも十年私を診てる心療内科医が今書いてきたようなこういうことも含めてその他何もわかってくれないのが本当イライラ、がっかりする。他人には言わない事でも医師には何度も何度もちゃんと言ってるつもり。私は正直「私を認めない社会が間違ってる」と思ってる。ネットなんかで「結婚式では5cm以上のヒール靴、それもピンヒールを履くのがマナーです!そうしないのは失礼!足が痛くなる人は別の履き慣れた靴で行って会場で履き替えましょう。靴ずれが予想される場合は絆創膏を用意しておきましょう」と書いてあるだけで本当イライライライラ~~~とする。そんな、靴が何たるかも忘れて(いや靴がじゃないけど)歩きやすさより姿かたちの「マナー」を優先しろ、皆我慢してるんだからその程度の怪我なんて我慢しろという世の中間違ってない?!って思うんです。現実的に古い世代の人は若い子がちょっと皆と違う格好してると白い目でみたりするんだからまあ、忠告してくれるだけその多くのネット記事は親切なんだろうけど。

 本当は私はそういう人の目から自由になりたいんだけど、自由であろうとすればするほど、わかってもらえないで煩く言われるのは避けて通れない。その辺のジレンマとの付き合い方が相当下手くそなんだと思う。人の目が脅迫であって、陰で言われるだけでなく油断しているとそういうものにある日突然ぶん殴られて辱められるということを私は知っているから。見栄っ張りで馬鹿にされることが私にとって一番苦痛なのだから、恐ろしさも強い。だから戦える人の強さを知ってる。その無神経さも。