コミュニケーションの行き詰まり。ADHDの話


話が通じない、何を言われてるのかわからない


 仕事ではないけれど趣味レベルで何かする時に人とやり取りしなきゃいけないことがよく有って、昔からそういう時のトラブルは多かったんです。メール等で何回やり取りしても相手が何言ってるか理解できない。自分が何を理解していないかも理解できなかったのか、~~についてわからない、これはこういうことですか?こうすればいいですか?どうすればいいですか?と聞いても、何について何を言ってるかわからない返事が返って来る。何度聞き返してもわからない。何でだと思ってたけど多分私の言うことが相手に伝わってなかったし、相手の言うことの主語、指示語代名詞なんかが私には何を指してるのかわからないんだと思う。直の会話だと余計わからないからメールの方がまし、だけどやっぱり駄目。そんな感じで途中で諦めてしまうことがよくあった。

 そういう訳で文学関連の活動も人と一緒にやるのは無理とわかったので一旦引くことにしました。
 同じ文章でも小説だと読んで言ってることはまあまあわかるのに(尋常でないくらいわからないこともある)、メールだとどういう訳か全然駄目……。直の会話も私が自分で思ってる以上に相手の言うことがわからなくて、無意識にわかってるふりしたりわかってる顔したりテンポ良く反応したりしていたみたい。頭で補整して聞いているから、正しくないし、自分が本当は理解しているのかどうかといったことも自覚しにくい。また、自分が思ってるのと反対の事を言っていることが多いのも最近わかってきた。私一人の問題ならまだいいけど、あまりにも相手に迷惑がかかってしまうので、本当に申し訳なくなって、人と本作るのも、何かに寄稿したりするのも今後できないと思う。(アンソロジー本への寄稿とかも本当はもっとしたかったんだけど、普段やり取りしない相手とのやり取りは反応が読めないので、伝えるのも相手の言う意味を受け取るのも本当に難しかったです)。
 今後やるとしたら自分一人でやると思う。作品は書けるんだけど……。

 考えてみたらダンスサークル作ってた頃もすごく苦労して。いろんな人が協力を申し出てくれてたのに、言葉のやり取りができない。。。で、縁が切れてしまったり。何でだかわからなかったです。だからADHDと言われた時やっと納得しました。

曖昧が苦手……

 私はちょっと曖昧なことは全然理解できないようです。特に事務連絡の時は普段使う言葉でも辞書引いて曖昧でないはっきり正確な意味を調べることもあるけど、小説の中では大抵わかるような文脈がメールではわからなかったり。だから何て返事したらいいのか?わからない。国語の成績は良かったのに、全然別なんですね。

 一般的に共通認識として皆が持ってる、口語の中で使用している言葉やニュアンスが私には読み取れないんだと思う。そういうのも結構曖昧で、はっきりこういう場合はこう、というのが決まっていないから。そういうのがわからない、というの自体相手にはなかなかわかってもらえないし(自分でもよくわからないくらいだから仕方がない)。

 それでもって一旦思い込んだら、違うかも、と思って調べたりすらしてるのになかなか頭の中の情報を修正、書き換えできなくて。数分前に考えたことも覚えていられないから私の記憶もかなり曖昧で、その曖昧な情報を整理できないまま調べるとまた新たな情報で混乱して、あきらかに矛盾したとんちんかんなことを言ってたり。

面倒くさがり、とは限らない

 メールの返事しなきゃと思いつつ結構面倒に思うことが多くて後回しにしてしまい、そのまま忘れてしまうことが多いです。ADHDの人は面倒臭く感じやすいのかと思ったけど、必ずしもそうじゃないと思う。「わかりました」の一言だけメールすれば用だけは足りる時でも、やっぱりそういう訳にもいかず、他にいろいろ書かないといけないから真面目に考え過ぎてしまい、そっけなさすぎやしないか、こう書いたらこっちが怒ってると誤解されるんじゃないか、とかあれこれすごい時間をかけて考え、また、自分で何気なく書いた暑いですね、の一言すら、相手の住んでいる地域は本当に暑いのか?と考えて地方の天気を調べたりなんだりしてしまう。全国の天気予報を何となくでも覚えていれば適当に書いていいと思うけれど、私は一日に何度見ても自分の地域の天気予報が覚えていられないし、相手の地域で竜巻が起こって暴風大雨洪水警報が出てるとか天気系の特殊な話題が連日出ていても絶対忘れてしまい、いい天気ですねとか言ってしまうかもしれない。ふつう感じる常識が覚えていられないから、私の感覚が特殊かもしれないと思って。また何百回やってることでも覚えられないので、これくらいの親しさの場合「何々さん」と書くか「何々さんへ」と書くか。「〇〇(サークル名など)何々様」と書くべきか、他の人はどう書いているか、一般的にどうなのか、サークル名と名前の間は改行するのが正しいのかとか様はいつも漢字だったか、この人にはいつも「さま」とひらがなでかいていたかとか、過去のメールを調べ出して、私の場合メールソフトを使いこなせないので過去のメールが見つからずその作業も手間取って非常に時間がかかる。その他書きながら本当に細かいことまでわからなくなってしまうので、結果時間が無くなってその日にメールを送信できない。本当に面倒くさがりならそこまで考えずさらっと短いメールを送っておしまい、にできるんじゃないかと思う。考え過ぎと言われるが、「〇〇さんへ、わかりました。なのりより。」と本当に一行で書くのもあまりにも普段と違うから何か変に思われても嫌だし、大袈裟でなく下手するとその「〇〇さん」という名前を間違えている危険があるのだ(忘れたり、混乱したり、素で他の人と間違えていたり、変換ミスしたりで)。どんなに親しい人相手でも。そこを間違えるのはさすがに怖いというか、嫌だ。。だから結構何度も相手の名前を確認したりする。メール一つするのにそういう手順を踏まないといけないのはやっぱり誰だって多少はめんどくさいでしょう?だからメール一つも書けないくらい、人より極端に面倒くさがり、という訳ではないと思います。普通はもっと手順が少ないのだから。
 詳しく書き過ぎましたがそんな感じです。だからメールはすごく苦手で、携帯メールなどでも相手の要件がなんだったか忘れてしまうので何度も下書き保存、受信メールボックスに移動、確認してから下書きを再開、というのを本当に何度も何度も繰り返している。絵文字を選んだらまた相手のメールの内容を忘れているので、用件が2,3件あったら本当もう駄目。何日もかかる。だからメールより、相手の手紙を横に置いて見ながら書ける、自分でどこに何を書いたかわかりやすい手紙の方が書きやすかったりします。(引用返信すれば下の方に相手からのメールが出てくるけど、何度も何度も下に行ったり上に行ったりしないといけないし場所がわからないから書いてあるところ毎回毎回探すの大変)。

論理が重要なので、人の論理をそのまま使うしかない

 こういうので子供の頃も家族にイライラされてたんだろうなと思う。私も実家では居心地が悪かったけど、かなりせっかちな親が私にイライラするのもわかるなって。人は自分を基準にするから、自分に簡単にできることが相手にできないとイライラしますよね。丁寧に説明しても理解できないと思います。ぽんやりしてるから、とか、注意が足りないから、とか、サボるから、とかいい加減だから、とか、本当はできるのにやらない駄目なやつと言われます。だから私は人から叱られてきたように、自分が単にいい加減でずぼらでだらしない不真面目な人間だと思い込んでたところがあるけど、でもよくよく考えたら、私は注意が足りないけど真面目で、日々神経使って人の顔色伺いながら気をつかって生きてきていました。それでもこの程度だけど。本当物心ついてからずっとストレスフルでした。




 最近、幸せになるために生きてる、と知人が言ってたのを聞いて、そうだなあ、そういう考え方もあるんだなあと思いました。私は楽しむのも幸せになるのも後ろめたいというか、まずきちんとやるべきことをして、それから楽しむべきなのに、そのやるべきことができず、部屋は片付けられないしメールの返事も書けてない、あれもできてないこれもできてない、すぐやらないと忘れるかもしれない(かなりの勢いで忘れる)、なのにその状況でやりたいことをするのはまあ普通の神経では多少なりとも後ろめたくなるんじゃないかと思う。だからいつもうしろめたい。
 でも、頑張って全部できてから楽しもう、人と交流しようと思ってこのままでいたら結局何もできないし、普通に努力すればしなきゃいけないことができるようになるわけじゃない。
 じゃあどうやったらできないことが楽にできるか、どうしたら楽しみながらできるか、考えた方がいいと思う。そういうのを考えるのは人に怒られさえしなければわりに私にもできるんじゃないか?と思います。
 主治医には、自分はそういう人だと割り切って生きた方がいいと言われました。メールには改行無しの一行で返す、相手の名前を間違える、自分の名前を間違える、挨拶を忘れる、返事の内容を書き忘れる、前に言ったことを忘れる、相手に不幸があったばかりでも忘れる、人の話をちゃんと聞いてない、忘れる、気遣いを忘れる、でも悪気は無い、本当にできないだけの人。そういう人として理解してもらえたらまあありがたいけど。皆が親しい人じゃないし、寛容じゃないし、優しい人じゃないし、なかなか理解してもらえないこともあるでしょうけれど。
 人には言ってもしょうがない話でした。