麗ブログ

うらぶろぐ

何でも忘れてしまう訳ではない

こないだ書いた記事は自分で物凄く気持ち悪くなって一時下ろしてしまいました。すみません。


 私は過去のことをかなり忘れてしまうのだけれど、普段はそれで生活できなくて困る程ではない…と思います。というかずっと忘れるのが普通だったので、しったかぶりしたり、わからないけど適当に相槌打ったりして適当に流す荒技で乗り切る習慣を作って、無意識に怒られないように、傷付かないように工夫してるというか。でも、ちょっとでもややこしい手続き等のことは毎年何度やってても忘れてしまうし、あれはどうなったと家族に聞かれても全く記憶にない、全くわからない、ということはたくさんあるので、毎日ではないけどよく困ってます。引き落とし口座の管理、税金関係、旅行に行く時の切符の買い方、予約の仕組み、役場での手続き、あまりしょっちゅうは出さない有害ゴミの出し方など。仕組みや概念からわからなくなっちゃう。銀行口座や会員登録の管理等では本っ当に何度も何度も何度も何度も忘れてます。気を付けていても、というか気を付けられないことが多いのですが、習慣づけ自己暗示をかけ緊張状態で過ごして何とか気を付けていても、今月の〇〇代を引き落とせませんでしたという電話が時々かかってきます。一回言われたら多分いつもすぐ入金して(しているつもりだけど、催促後にちゃんとやってるかどうかは確信が持てない。多分、先月電話がかかってきた分は二回目の引き落とし期限までに入れたつもりなので何とかなって)いる、と、思う…………。

 

 主に困っているのはそういうことだけれど、本当はもっと困ってるのかもしれない。時々させられる心理テストのようなので「最近忘れることがあったかどうか」みたいな質問があって、私は自分で気づいていないとか、あったけどもう忘れているとかで「なかった(と思う)」と言ってしまうことが多く、ああいうテストも実際どうなのかというより自分が日々の生活に困っているかどうかの方が多分重要なようなので、困ってないと自分で思うのなら別にいいんだろうけど、本当はどうだかよくわからなくなりつつしょっちゅうかなり困ってたりします。で、何を困ってたのか忘れてまた、元気なふりをしたり、気にかけてくれる人にはその人に合わせて悩んでるふりをしたり。調子が良い悪いは何とも言えない部分があります。困っているのに困っているのも認識できなかったり……。

 心理テストでは、何を聞かれてるかわからないのに「深く考えずに直感で答えて下さい」って書いてあるから急いで適当に答えます。「深く考えず」は本来多分「答えを深く考えず」なのに、「文の意味を全く考えず、とにかく急げ」に読み替えてしまうようで。

  (例)イライラして順番が待てないことがあるかどうか→いいえ。ずっといいえと答えてきた。

いいえの理由……「順番が待てない」=「割り込みをすること」と思っていたから。割り込みなんて無理。周りの目も怖いし絶対できない。物心ついてから一度もしたこと無い!

最近気付いて「はい」にした。はいにした理由……考えてみたら順番が待てない=割り込みとは限らない。確かにいつも待てずに、ちょっと待ってからイライラして列から離れ、別の選択肢の(具体的にはランチの店とか)列に並び、そこでも待ってられなくなってイライラして列から離れる、を繰り返してしまう。本当に順番が待ってられない。かなりよくある。

(※正確には、はい、いいえではなく、そう思う度合いを1~10の数字で答えるなどの質問)

こういうテスト↓

https://ddsupport.net/adhd-diagnosistest/


 どっちの解釈が正しいのか正直わからない。なんでこれ選んだの、なんて聞かれること無いし。



 で、さて。私が悪いこともいろいろ忘れて日々能天気に生きているかといえばそういうわけではありません。

 嫌だった事はすごくよく覚えています。嫌な事自体ではなく、私が嫌だと感じた感覚は何年経っても結構はっきり覚えていて、何かよくわからないけれどこの話題になるとすっごく嫌な気持ちになるとか、この場所に来るとすっごく嫌な気持ちになるとか、嫌なもの苦手な物がどんどん増えていくけれど理由がよくわからないし解決のしようがない、という事態になってしまうのです。不安障害、という診断も下されているのでADHDというよりそっちかもしれませんが(不安障害とADHDの関係は不明)。原因がよくわからない分余計に何をしていてもつらい、しんどいことが多く、とにかく余計な事をせず、人を刺激せず、ひっそり黙って生きるということも大人になるにつれ増えました。性格は実は明るくておしゃべりでお調子者で…なのに、黙る努力をしてる。


もしかしたら、今かつて味わったようなつらい目に遭っても昔ほどには大したことないように感じるのかもしれないけれど、当時の感覚ではいつも確かにとっても深く傷ついていたのだと思います。だから今もつらい。この場合その時の気持ちが全てなので、今の私にはどうしようもない。そしてその感覚がなかなか薄れない。また逆に、当時は日々当たり前のように耐えてきたことでも今の私にはもう耐えられないかもしれない。だから逆に普段は忘れていた方がいいこともあるのかもしれません。でもちょっとしたきっかけで昔の自分の苛立ちはよみがえってしまう。。。

記憶の認識が苦手:ADHD的な

記憶が無い?過去をあまり覚えていない


 言われると結構人に合わせて「そうですね」と言ってしまうけれど、本当は私は月日が経つのが早いという風に感じていない。もちろん、30分がとっても長く感じた記憶のある幼児の頃ともっと大人になってからでは全然時間の感覚が違い、また、中学に入った頃もそれ以前より時間がたつのが早くなったように感じた記憶がある(覚えてるのはその事を人に話した事実だけで、その感覚自体はもうわからない)。そうしたら、中学の時の二十代くらいだった担任の先生が、私くらいになるともっと早く感じるよ、と言っていて、そう言われたと親に言うと、お母さんくらいになるともっと早く感じる、先生くらいじゃまだまだよ、と言われた。でも今の私は、そこまで時間の経過が早く感じるという実感がなくて、いつからか、多分中学のその頃以降ずっと変わらず、一日は一日だし一年は一年、としか思えなくなっていた。早く感じない、というか、よくわからない。遅いわけではないけど普通に長くてしんどい。前にも書いたかもしれないけれど、今日が何月何日、何曜日とかいう感覚がよくわからない。もちろんゴミ出しの日とかテレビ番組が違うとか家族が休みとか、あとは私の通院とかいうので曜日は一応ほぼわかるというか生ゴミは出し忘れたら大変だからそういうのを忘れないように頭を緊張状態にして、アラームを早い時間に何個もセットしておく。朝には大抵忘れてるから二度寝しないように何個もセット。ストラテラも飲んでるし、そういう緊張があるから、最近は全く何月何日がわからない訳ではないのだけれど、昨日は何をした、先週末は何をしたとかいう、日にちの経過もよくわからなくて、一年以上前の日の記憶や感覚が、先週位の過去にしか思えなかったり、或いは、(事実を知識として認識するのでなく、五感の記憶として残っている)数少ない記憶は、昨日も十年前も二十年前も同じように感じる。例えば私は1984年のお正月に、一人でドリフターズお笑い番組をやっていたテレビの画面を見たという主に視覚の、短時間の記憶があるけれど、それは今日見た番組のテレビ画面の視覚的記憶と全く同じ程度に残っている。というか、それは過去の記憶が強く残っているという意味ではなく、三十年前も昨日も同じ程度にぼんやりとしか覚えていないし、それでもそこまではっきり「1984」というような数字を覚えているのはよく覚えてるなあとも思うけれど実際はそういう意味の無い3つか4つ程度の記憶しか現在の自分の頭の中には留めておけない感じ。こういう記憶はまた多分念頭には見当たらなくなるけれど、完全に失われたわけではなく、他の雑多な記憶と共に何かの拍子にそういえば、という感じにまたランダムに3つか4つ表層に現れ、また消えてゆく。そうして何故か出現率の高い記憶は少しだけ他より強く印象に残る。それ以外の自分の過去はほとんど、実感ではなく知識で知っているレベルです。私は子供を産んだことがあるし、思い出そうとするとそういえばこうだった、と思い出すけれど、そういうのも本で読んだのか確かに自分が体験した事実なのかはわからないくらいのぼんやりした記憶で。こんなこと言うのもおかしいけれど、現在まで愛情もって育ててきた覚えはあるけど、この子を産んだ覚えが無くて不思議。誰しもふと、子供が当たり前のように側にいることを不思議に思う瞬間なんてあると思うけど、私はそれが頻繁。何度も思い出すうちに多分、実感にはなるんだろうけど今は脳にそんな余裕が無いんでしょう。当時の事が頭に浮かんできません。(戸籍ではちゃんと確認できるはずだけど)



 先程も書いたように自分の感覚が時に長時間を飛躍しているという感覚があります。昨日の記憶も十年前の記憶も三十年前の記憶も同じ感じ、というような。月日が経ったんだ、ということはわからず、たとえば振り返ってもこの一年いろいろあったなあという風に感じる訳でもないし(振り返ろうとしても頭が真っ白)、どれだけ時間が経った、というのがよくわからない。わかるのは現在が多分、現在であるということ。時間が経つというのがよくわからないのかも。早く時間が経ってほしい、何でもいいから早く苦痛から楽になりたいとばかり、小さいときから思ってきたから決して現在を大事に生きてきた訳ではない。


 こういう風には書いたけれど、何故か変な記憶はかなり正確に頭の中に再現されることがあり、電車の中で何も持ってなくて読めないから、頭の中の岡田あーみんの漫画本(現実に何十回と読み返したことがある)を読み、またページをめくり、おかしくておかしくて電車で吹き出してしまうとか、そういう時もある。今思い出せと言われても全く思い出せないけど。言葉は聞き取れないけど音楽はなんとなく聞けるのか、曲名も覚えられないショパンやベートーベンの複雑なピアノ曲みたいなのも頭の中で鳴らそうと思えば鳴らしたりもできる。どこかのフレーズだけだったりするけど。これも子供の頃ドライブ中に延々と聞かされて頭に染み付いてるんだろう。でもあまりピアノの音は好きではない。


自分の感じ方が正確に書けているわけではありません。

純粋にわからないんだけど

 罰当たりなことを書きます、すみません。。。

 うちの実家は無宗教で、祖母や母はとある宗教の半信者(祖母は複数の宗教の洗礼を受けたりしているし、母の実家も別の宗教をやってた)だったりして、母も父の猛反対でかつて棄教っぽいことをしていたらしい。私が小学校低学年の頃は家族でクリスマス会をしていたのに或る年から「うちはキリスト教じゃないからクリスマスはやらない」と言い出してただ単にごちそう食べたりする日になったし(父は家族行事は大好きだからごちそうは食べる)、何故かその頃から正式に「無宗教」になった。私はお墓参りというのも行ったことが無かったし、観光で寺社仏閣に行くのは両親共に好きみたいなのにそこで一度もお賽銭をあげたことが無かったので、未だに私はお参りのやり方がわからない(二拝……なんとかが聞いても何度見ながらやってもややこしくてどうしてもわからない)。七五三などの行事は写真だけは撮った。母方の祖父が亡くなった時に母が自分の父親の為に居間の隅にコーヒーを供えるのを見て私も内心びっくりしていたけれど父はよく思っていなかったらしく、今はまあいいけどそういうのは好きじゃない、一か月間だけにしてほしいとか苦々し気に言っていた。初詣のようなものにも行ったことがない。詣でないのだから初も何もない。

 

 ところが私が結婚した後、三十代半ばの頃に実家で同居していた父方祖母が無くなってから、何故か親が仏壇?みたいなのを買ってきて、その頃には私はもう家を出てその家の人間ではなかったのでそれがどういうものがよくわからないけれど、仏壇に拝むなんてむしろ母方の実家のことで父は嫌がっていたのに、祖母に線香あげようねとか言い出して、正直意味がわからなかった。祖母の葬式は仏式でもキリスト教式でもなかった。音楽葬?とか名前を付けていた。よその仏教のお葬式などには行ったことがあったけれど(焼香とかは経験あり)仏壇に手を合わせる時に何をするのかはわからない。おリンをカーンというのをやって、線香あげる、手を合わせる、という時にまあもちろん手順などわからないから親のやっているのを見て真似しながら、突然何を始めたんだ、何をさせるんだろうとむしろよくわからない新興宗教でも始めたかのように両親のすることが不気味に感じられた。

 

 多分私の中でそういう宗教的な行事や感覚が身についておらず、学校がキリスト教だったので全く宗教にかかわりが無かった訳ではないけれど、私には日本人的な素養が無いのだと思う。神とか仏とか八百万の神という感覚も無いし、そういうのはすごく戸惑うのだ。私も結婚してからは、義実家の人達に倣ってお寺神社で入口の手を洗うのをやったり、お賽銭をあげたり、あとお守りを買ったりもするようになった。葬式用に義母が数珠をくれた。でも義母がいないと一人では神社でパンパンおじぎとかどうやってするのかどうしてもわからない。覚えようとはしているんだけど難しくてどうしても身につかない。私が発達障害で覚えるのが難しいというのもあるかもしれないけれど、小さい頃から習慣が無いことを大人になってから求められるとなかなかできないもんなんだなと思った。そしてそういう意識自体小さいうちから慣れていないと身につかない気がする。

 

 で、そういう前提なんだけど、うちや兄のところに子供が生まれてから、お盆に実家に集まろうと言われるようになって、何を言ってるんだ?と本当に戸惑っている。お盆というのは8月15日頃の何か、祖先の魂が帰ってくる日?というのは知っているけど、今まで実家でお盆的なことをしたことは一度も無い。家が無宗教だったのだから。そもそも帰ってくる祖先って誰のことだかわからない。帰ってくるとしたら祖先は別の所に(親戚たちのいる、遠い西日本の方とか)帰ってくるんだと思うし。それなのに、こないだ実家の仏壇には知らない男の人の白黒写真があって、どうやらそれまで見たことも無かった父方の私の祖父の写真のようだ。手を合わせろと言われても……。私の生まれるずっと前に亡くなっていたらしく、悪口しか聞いたことなかったし。祖先を敬うような意識は私の中に無いし、これからもどうやって持てばいいのかわからない。仏教なの?私には本当にわからない。どうしちゃったの??何言ってるの?私がとある宗教(母方の実家の宗教)の勉強をしたら殴ってきたくせに、何やってるの?孫が生まれたからとか、自分の親が亡くなったからとかでこの変わり身は。話し合う必要もないし、実家とはあまり関わらないようにしているので何も言わずにいるけど……。本当にわからない。

コミュニケーションの行き詰まり。ADHDの話


話が通じない、何を言われてるのかわからない


 仕事ではないけれど趣味レベルで何かする時に人とやり取りしなきゃいけないことがよく有って、昔からそういう時のトラブルは多かったんです。メール等で何回やり取りしても相手が何言ってるか理解できない。自分が何を理解していないかも理解できなかったのか、~~についてわからない、これはこういうことですか?こうすればいいですか?どうすればいいですか?と聞いても、何について何を言ってるかわからない返事が返って来る。何度聞き返してもわからない。何でだと思ってたけど多分私の言うことが相手に伝わってなかったし、相手の言うことの主語、指示語代名詞なんかが私には何を指してるのかわからないんだと思う。直の会話だと余計わからないからメールの方がまし、だけどやっぱり駄目。そんな感じで途中で諦めてしまうことがよくあった。

 そういう訳で文学関連の活動も人と一緒にやるのは無理とわかったので一旦引くことにしました。
 同じ文章でも小説だと読んで言ってることはまあまあわかるのに(尋常でないくらいわからないこともある)、メールだとどういう訳か全然駄目……。直の会話も私が自分で思ってる以上に相手の言うことがわからなくて、無意識にわかってるふりしたりわかってる顔したりテンポ良く反応したりしていたみたい。頭で補整して聞いているから、正しくないし、自分が本当は理解しているのかどうかといったことも自覚しにくい。また、自分が思ってるのと反対の事を言っていることが多いのも最近わかってきた。私一人の問題ならまだいいけど、あまりにも相手に迷惑がかかってしまうので、本当に申し訳なくなって、人と本作るのも、何かに寄稿したりするのも今後できないと思う。(アンソロジー本への寄稿とかも本当はもっとしたかったんだけど、普段やり取りしない相手とのやり取りは反応が読めないので、伝えるのも相手の言う意味を受け取るのも本当に難しかったです)。
 今後やるとしたら自分一人でやると思う。作品は書けるんだけど……。

 考えてみたらダンスサークル作ってた頃もすごく苦労して。いろんな人が協力を申し出てくれてたのに、言葉のやり取りができない。。。で、縁が切れてしまったり。何でだかわからなかったです。だからADHDと言われた時やっと納得しました。

曖昧が苦手……

 私はちょっと曖昧なことは全然理解できないようです。特に事務連絡の時は普段使う言葉でも辞書引いて曖昧でないはっきり正確な意味を調べることもあるけど、小説の中では大抵わかるような文脈がメールではわからなかったり。だから何て返事したらいいのか?わからない。国語の成績は良かったのに、全然別なんですね。

 一般的に共通認識として皆が持ってる、口語の中で使用している言葉やニュアンスが私には読み取れないんだと思う。そういうのも結構曖昧で、はっきりこういう場合はこう、というのが決まっていないから。そういうのがわからない、というの自体相手にはなかなかわかってもらえないし(自分でもよくわからないくらいだから仕方がない)。

 それでもって一旦思い込んだら、違うかも、と思って調べたりすらしてるのになかなか頭の中の情報を修正、書き換えできなくて。数分前に考えたことも覚えていられないから私の記憶もかなり曖昧で、その曖昧な情報を整理できないまま調べるとまた新たな情報で混乱して、あきらかに矛盾したとんちんかんなことを言ってたり。

面倒くさがり、とは限らない

 メールの返事しなきゃと思いつつ結構面倒に思うことが多くて後回しにしてしまい、そのまま忘れてしまうことが多いです。ADHDの人は面倒臭く感じやすいのかと思ったけど、必ずしもそうじゃないと思う。「わかりました」の一言だけメールすれば用だけは足りる時でも、やっぱりそういう訳にもいかず、他にいろいろ書かないといけないから真面目に考え過ぎてしまい、そっけなさすぎやしないか、こう書いたらこっちが怒ってると誤解されるんじゃないか、とかあれこれすごい時間をかけて考え、また、自分で何気なく書いた暑いですね、の一言すら、相手の住んでいる地域は本当に暑いのか?と考えて地方の天気を調べたりなんだりしてしまう。全国の天気予報を何となくでも覚えていれば適当に書いていいと思うけれど、私は一日に何度見ても自分の地域の天気予報が覚えていられないし、相手の地域で竜巻が起こって暴風大雨洪水警報が出てるとか天気系の特殊な話題が連日出ていても絶対忘れてしまい、いい天気ですねとか言ってしまうかもしれない。ふつう感じる常識が覚えていられないから、私の感覚が特殊かもしれないと思って。また何百回やってることでも覚えられないので、これくらいの親しさの場合「何々さん」と書くか「何々さんへ」と書くか。「〇〇(サークル名など)何々様」と書くべきか、他の人はどう書いているか、一般的にどうなのか、サークル名と名前の間は改行するのが正しいのかとか様はいつも漢字だったか、この人にはいつも「さま」とひらがなでかいていたかとか、過去のメールを調べ出して、私の場合メールソフトを使いこなせないので過去のメールが見つからずその作業も手間取って非常に時間がかかる。その他書きながら本当に細かいことまでわからなくなってしまうので、結果時間が無くなってその日にメールを送信できない。本当に面倒くさがりならそこまで考えずさらっと短いメールを送っておしまい、にできるんじゃないかと思う。考え過ぎと言われるが、「〇〇さんへ、わかりました。なのりより。」と本当に一行で書くのもあまりにも普段と違うから何か変に思われても嫌だし、大袈裟でなく下手するとその「〇〇さん」という名前を間違えている危険があるのだ(忘れたり、混乱したり、素で他の人と間違えていたり、変換ミスしたりで)。どんなに親しい人相手でも。そこを間違えるのはさすがに怖いというか、嫌だ。。だから結構何度も相手の名前を確認したりする。メール一つするのにそういう手順を踏まないといけないのはやっぱり誰だって多少はめんどくさいでしょう?だからメール一つも書けないくらい、人より極端に面倒くさがり、という訳ではないと思います。普通はもっと手順が少ないのだから。
 詳しく書き過ぎましたがそんな感じです。だからメールはすごく苦手で、携帯メールなどでも相手の要件がなんだったか忘れてしまうので何度も下書き保存、受信メールボックスに移動、確認してから下書きを再開、というのを本当に何度も何度も繰り返している。絵文字を選んだらまた相手のメールの内容を忘れているので、用件が2,3件あったら本当もう駄目。何日もかかる。だからメールより、相手の手紙を横に置いて見ながら書ける、自分でどこに何を書いたかわかりやすい手紙の方が書きやすかったりします。(引用返信すれば下の方に相手からのメールが出てくるけど、何度も何度も下に行ったり上に行ったりしないといけないし場所がわからないから書いてあるところ毎回毎回探すの大変)。

論理が重要なので、人の論理をそのまま使うしかない

 こういうので子供の頃も家族にイライラされてたんだろうなと思う。私も実家では居心地が悪かったけど、かなりせっかちな親が私にイライラするのもわかるなって。人は自分を基準にするから、自分に簡単にできることが相手にできないとイライラしますよね。丁寧に説明しても理解できないと思います。ぽんやりしてるから、とか、注意が足りないから、とか、サボるから、とかいい加減だから、とか、本当はできるのにやらない駄目なやつと言われます。だから私は人から叱られてきたように、自分が単にいい加減でずぼらでだらしない不真面目な人間だと思い込んでたところがあるけど、でもよくよく考えたら、私は注意が足りないけど真面目で、日々神経使って人の顔色伺いながら気をつかって生きてきていました。それでもこの程度だけど。本当物心ついてからずっとストレスフルでした。




 最近、幸せになるために生きてる、と知人が言ってたのを聞いて、そうだなあ、そういう考え方もあるんだなあと思いました。私は楽しむのも幸せになるのも後ろめたいというか、まずきちんとやるべきことをして、それから楽しむべきなのに、そのやるべきことができず、部屋は片付けられないしメールの返事も書けてない、あれもできてないこれもできてない、すぐやらないと忘れるかもしれない(かなりの勢いで忘れる)、なのにその状況でやりたいことをするのはまあ普通の神経では多少なりとも後ろめたくなるんじゃないかと思う。だからいつもうしろめたい。
 でも、頑張って全部できてから楽しもう、人と交流しようと思ってこのままでいたら結局何もできないし、普通に努力すればしなきゃいけないことができるようになるわけじゃない。
 じゃあどうやったらできないことが楽にできるか、どうしたら楽しみながらできるか、考えた方がいいと思う。そういうのを考えるのは人に怒られさえしなければわりに私にもできるんじゃないか?と思います。
 主治医には、自分はそういう人だと割り切って生きた方がいいと言われました。メールには改行無しの一行で返す、相手の名前を間違える、自分の名前を間違える、挨拶を忘れる、返事の内容を書き忘れる、前に言ったことを忘れる、相手に不幸があったばかりでも忘れる、人の話をちゃんと聞いてない、忘れる、気遣いを忘れる、でも悪気は無い、本当にできないだけの人。そういう人として理解してもらえたらまあありがたいけど。皆が親しい人じゃないし、寛容じゃないし、優しい人じゃないし、なかなか理解してもらえないこともあるでしょうけれど。
 人には言ってもしょうがない話でした。

気を遣っているのか、身を守っているのか

最近ブログ書いていなかったのでメモとして。

 

 とある整体みたいなのに行ってみた。初対面なのに結構会ってすぐにきさくな先生から、あなたは周りの人に気を遣いすぎ、と言われてしまった。予約時のメールの文面とかからしてそれがすごく出ていたとのこと。。。言われてみると確かに。

 でも、どちらかというと私は気が付かない方だったので、周囲の様子に気を付けるように努力して、その加減がよくわからないからとりあえず思いつく限り丁寧にしておく、ということをしているだけで、子供時代は、全く気が利かないわけではないけど、周囲のことに気が付かない、という評価を受けることが多かった。親に一番よく言われて困ったのが、「おまえは赤ん坊の死体が落ちてても気が付かない」という例えで、少なくとも私の周りでそういう事件は起こったことが無いしそんなこと言われても……だからそんなことはないと反論できなくて。親の世代ではそういうこともあったんだろうか。何で繰り返しそう言われてたのかわからないけれど、ADHDだから子供の時から注意力に欠陥があったのは確かにそうなのかもしれないとは思う。一方で、私が好きな事にはかなり熱中している様子を見た母親に「熱中しすぎるな、そういうところ気を付けないと」という風に言われていた。高校生くらいになっても。だから私は我が家の一大イベントである受験を意識して、好きな物事に熱中しないように気を付けてはいて(「ほどほどに丁度良く集中する」のはどうしても無理だった。するかしないかしかできない)、つまり、周囲をよく見て、好きな物事に集中しない、でも必要な事には集中しなくてはいけない、というかなり私にとって無理な頑張り方をしていたのだった。無理だったけど。

 だから加減がわからず気を抜くと今度は抜き過ぎてしまって、社会人として、または人としてまずいことをしてしまうんじゃないかというのがとても怖い。気を遣うのも、そうしないと相手に相当迷惑をかけることがあるから。本当実際、洒落にならないことをすることがある。大学に入って、狭い家庭から外に出てから特にそうだったけれど、バイトとか、人とやりとりする時でも雑談する時でも、もうちょっとこうできないの?もう二十歳過ぎてるんだよね?もう大人だよね?という注意のされ方はいろんな人から受けてるし。特に、けじめとして人に自分の考えを伝えたり、仁義を通したりすることに関しては、当時の私にはやるべきという発想も無く、やるとしたらどこまでやっていいのか全くわからなかった。いろいろあったけどわかりやすい例では、ありがとう、ごめんなさい、お願いします、といったこと。一回言えばいいのか、何度でも感情をこめて、いろんな言葉を駆使して大袈裟に伝えないといけないのか。大人ならできて当然なことが私にできていないのはわかっていた。指摘されてから努力は始めたけれど、今も多分できないことが多い。だからできるだけ気は使わないといけなくて。先ほど、気を遣わないと迷惑をかける、と書いたけれど、それ以上に、気を遣わないと攻撃される、とも思っていた。私は人から攻撃されることが結構多かった(注意してくれた人達のことじゃなくて。もっと本当に悪意がある知らない人とか。私をいじめていた同居の祖母とか)。周りに敵が多いことも知っていた。初対面の人が攻撃してこないとも限らない。だから気を遣う。そういう意味で、私はあんまり安心できる場所がない。身を守る為に丁寧にして、相手に譲っているのだ。心は憎しみに満ちていても。

 実はありがとうというのも苦手で、もちろん人一倍言うけれど、言葉とか表情とか声色とか態度とかしぐさとか、どこまでやればいいのかわからないからやりすぎる。まあー〇〇さん、(感嘆詞と相手の名前や先生、などの人称代名詞を入れるのがポイント)本当にすみませんすみません、ご親切にありがとうございます、本当に。と何度も何度も言ってると、気持ちよりも相手にどう見えるか、ということばかり意識してしまって。そういう場面って、大人同士別に本心なんてどうでもいいことが多いけれど、それで丁寧な人、優しい人、親切な人、誠実な人、と思われてしまうと結構つらい。実は内心、そうしないといけないと思ってやってるだけで、こんな気を遣わないといけないことにうんざりして、疲れて、いやいややってたりするから。私が自分で思ってるよりは毒が無いしいい人なのかもしれないけれど、優しい人と言われると、実際がどうあれ結構嫌な気持ちになる。この、自分で嫌な気持ちになるのが良くないのだ。自分が嫌でなければどう振舞っても別にいいと思うんだけど。

そういうことをいろいろ考えてしまった。

山崎十日市で買ったもの

先日山崎の十日市に行ってきました。何度か行ったことがあったんですが、十年以上続いているとのことで結構歴史があるんですね。

手作り品がメインなようですが、その他のものもありました。

 

いろんなサイズのがま口があってめちゃくちゃ迷ってしまいました。柄がどれも素敵で、センスがいいなあ~。気になったうちの、一番使いそうなサイズのに。裏と表が違う柄です。

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↓ガラス雑貨を作ってる方のところで見つけたネックレス。透明ガラスのもあったんですが、これが何かいいなあと思いました。もやっとした色合いが不思議な魅力。焼いてみてから、いい模様の部分を切り出して作るのだそうです。だからこれも、偶然できた模様のようです。

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↓何かいい感じのお茶碗。見て「好きな感じ」と思ったので購入。お皿、中でもお茶碗ってそんなに割れるもんじゃないし、大抵家族が買ってきてくれたもの、人にもらったのを長年使うものだと(?)思いますが、ごはん食べるお茶碗も自分で好きだと思うものを使いたいなあとずっと思ってました。

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若いお兄さんが益子焼の先生に師事して作った、先生の登り窯で焼いたものらしく、電気釜その他と違って費用もかかるので高いけれど、風合いが良くなるそうです。詳しいことを聞いてもよくわからなかったですが……

好きな感じだったのですがいまいち自分は物の価値がわからず食器を買うことがあまり無いので、食器が好きで詳しい義母を呼んできてこれどうでしょうねえと聞いてから買いました(この時そんなにお金を持ってってなかったので一応)。いいんじゃないのということで思いきれました。と言っても千円台(でも同じ方の他の現代風な作品より高かったんで、、)……確かに、他の益子焼の値段を聞いたらうわわわわっとなったから、お買い得だったのではないでしょうか。なにより、好きな感じならそれで、なかなかいいお買い物。

 

最後は帽子。こんなの作るなんてすごいですね。

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この日一番の目的のもの。売っている作者の方が同じテイストの帽子をお召しで、清楚な感じの女性だったのですがとってもお似合いで。もしかして以前買った帽子屋さん? 違うかも?? 記憶に自信がないのでわかりませんが……とにかくあの帽子屋さん来てないかなーと思って来てみたら、帽子屋さんありました。

私は普段よく帽子をかぶっていて、そんなに普段おしゃれな帽子好きという程でもないんですが、でもやっぱり帽子は好きです。でも慣れないと帽子って難しいですよね。色形がよくてもファッションに合っていなかったり季節にあっていなかったり、また被る人の頭の形、顔の形、髪型いろんなものによって似合ったり似合わなかったり。選ぶ自信が無くてなかなか冒険することは無いですが本当はいろいろ被って歩きたい……。これはラタンっぽいつばが付いていて、年中かぶれるわけではありませんが、春~秋長く使えそう。私は頭が冷えると酷い頭痛がするので、冬は必ずニットその他の帽子を被っています。特に風が強い日は忘れず被ります。夏は日焼け防止につばのある帽子。これがなかなか難しく。大抵、お気に入りのキャスケットを被っていますが、どうしてもカジュアルになるので、お洒落な感じの服装でもかぶれるものを探しました。カジュアル過ぎず、よそいき過ぎず。

この帽子は黄色いリボンがぱっと見てかわいいなと思ったのと、頭の形がまあるくなって(きりかえが付いていて上に丸い円形の布がある構造のほうが浅くかぶれて視界が遮られにくいらしいのだけれど)感じがいいなあとこれにしました。

 

JR山崎のロータリー傍にある、cafe tabitabiの2階の「Relish」というお店も雑貨などがいろいろあって、ここもおすすめです。