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やばめだけど日記(3)…幼少時から苦手だったこと

 軽めだとはいえ、ADHD的な傾向は生活に支障が全くないわけではなく、しんどいこともありました。私はまだましな方なのですが。人と会話が通じなかったり、人に急に何か言われたら全く頭に入らなくてぽかーんとしてしまったり。何か集団で浮いててみそっかすっぽいところもあったし、皆と遊ぶこともないわけではないけれど基本的には一人でいたし。

 

  

 また、片付けが大の苦手で。一年に一回、大みそかに家族で大掃除をする時にかなり強制的にものすごい時間をかけて、テレビも観ずに年が明ける頃にやっと部屋が片付いていました。昭和の複数兄弟家庭で、今とは比べ物にならないくらい自分のものが少なかったのにその状態なので、大人になって物が増えに増えた今はもうとんでもないことになってます。学校の自分の机の中がごちゃごちゃなのを、友達にいいつけられて初めて先生にバれ、それ以来ずっと通知表の整理整頓の項目が「がんばろう」に。でも大人になって「部屋が片付けられない」と言っても、私も、と言われることは多いです。皆片付けは苦手らしいです。だからこれは普通なのかも? 親がいつ怒鳴り込んでくるかわからない状況で大掃除すれば(物が無い分)何とかなっていた気もするのですが、今は全然ダメで。片付け方がわからないし、何をどこへ置けばいいかを決められない。かなり気合入れて長時間大片付け大掃除しても全くきれいになっていなくてがっかりします。どこへ置いたらいいかわからないものがどんどん積み上がっていって、なんで?? って。何故か学校では掃除の時間誰よりも真面目に掃除して、クラスで一番掃除を頑張ったからとシスターからご褒美のマリア像を頂いたくらいなのに。私は性格はすごく真面目で、すべきことはすぐに、完璧にしないと気が済まないところもあるんです。学校のように掃除当番の担当箇所も掃除の手順や使う道具も、掃除用具入れもゴミ置き場の場所も決まっていてそれをすればいいだけというのは楽だったんです。でも、自分で全部決めてするとなると応用が全くきかないんです。整理整頓という大変なことは考えるだけでも気が重くて、後回しにしちゃうんですね。そう、大変だと思うとすぐ後回しにしてしまうというのも普通だとは思うんですが。でも人より極端に大変だと思ってしまう気がします。というか、大変です。

   

 時間の感覚がわからないので曜日もすぐ間違える。今日定休日じゃないかどうか調べといて、と言われて調べて、ここは水曜休みだから今日は大丈夫だ、と思って人と一緒に行ってみたら水曜日で休みだった、というようなのは結構普段からあります。年月日もわからない。今が何月なのかもわからない。週一回〇〇をしましょう、フィルター掃除は月一回くらいの頻度でしましょう、というのも、前回がいつなのか全然わからないし、メモするのも忘れるし全てが大変すぎてメモまで気が回らないし。するべきことを全て忘れる。これは今薬を飲むようになってもまだ治りきらなくて、昔から月に何度も通院しているのですが、「今月初めての診察でしたら保険証を出してください」と言われても、どうやったら自分が今月初めてかどうかわかるのかもわからなくて、カレンダーを見ても今日が何月何日かわからなくて、前回が何月何日かもわからなくて、しばらく考え込んでしまい、考えてもわからなくて、とりあえず保険証を渡しておいたりします。そんなこと聞かれてわかる人がいるの? と不思議に思ってました。

 

  忘れ物なんてしないよ!ちゃんとわかってる!前の日から準備してるし!ちゃんと入れたし!と思ってるのに何故か入ってない。忘れる。何年も通っている学校でも全然違う顔の先生を混同してしまう、人の顔も名前も覚えられない、聞いても右から左でその場で忘れる、何度か会ってるのに会わなくなったらもうその人の名前も、存在すら思い出せない、というのも当然のように治らないし、小学校の頃のことはそもそももうよく覚えていないです。

っていうことはずっと昔からありました。

 

  

  これも昔からですが、本を読むと、出てきた言葉に反応して全く違うことを考え始めてしまいます。この言葉は別の読み方があるだろうか、とか調べ始めて本を読むのを忘れたり、過去にその言葉を自分で使った時のシチュエーションを細かく思い出してずっとそれを辿っていたり。

 また、私は実家にいた頃はあまりテレビを観なかったのでよくわからなかったのですが、ドラマや映画を観る集中力が続きません。テレビドラマはまだコマーシャルなどがあるのでふらふら歩いたりできるし、途中から見てもわかるように結構うまくできているから途中が抜けてもなんとなく話がわかるし、まあ途中で見るのをやめてもすぐその番組のことも忘れるのでそんなに困らないです。テレビでやっている映画は途中でどうしても立ってどこかに行ってしまうんで、わからなくなって途中で観るのをやめたり。映画館や劇場へ行って観るお芝居などは、結構好きだと思っているものでも途中で飽きて考え事とかしていることが多いです。テレビのバラエティ番組などは、好きな番組で楽しみにしているのにいつも何故か盛り上がっているところでふらふらっと立ち上がって台所で今しなくていい洗い物を始めてしまったりします。これまであまり意識していませんでしたが。(あと、大河ドラマみたいな人がいっぱい出てくるのでは、顔の区別がつかないので、主人公すらどの人かわからなくなり、誰が誰だか、また誰が何を言っているのかわからず、話が全然わからないから見られません。)

   

 私にはそれが普通のことだったのでとりたてて人に言ってはいなかったかもしれませんが、電話も苦手でした。仕事で電話を人に取り次ぐ時、まず相手の名前がよく聞きとれない(いつも人の話が聞き取れないので聴力が少し弱いのかと思ってましたが検査すると全く異常なし)、相手の会社や名前が覚えられない、というか頭に全く入らなくて右から左になってしまう。だから即座にメモするけどあちらが「~~さんいらっしゃいますか」みたいに話しているのを聞きながら書くのも無理で(書いていると相手の話が全く耳に入らないことがあるので注意して聞かないといけない)、名乗られた端から復唱とか「ちょっと待って」とか言えないし、こっちがしゃべる段になっても黙って書いてる訳にもいかず、「いつもおせわになっております~~」「少々おまちください」みたいなことを言いながら必死でガリガリ書いてたメモを見ると、間違ったひらがなの「おセわ」っぽい感じの(セがカタカナっぽく文字が間違ってたり)文字しか書いてない。私が言った「お世話になってます」のおせわ、が……。定型文であっても違う言葉を発しながら文字が書けないのです。一通り話した後で、申し訳ありませんが、ともう一度名前を聞くけどまた一度で聞き取れないのです。何度も何度も聞くのも悪いし、復唱しても間違えるし……。そういうので怒られるし結構周りも困ってた。でもそういう、電話受けるのが苦手な人はやっぱり普通にいるのでそれが大問題になったりはしなかったと思います。多分。

 学校の授業はどちらかというと一方通行なので、双方向の会話より余裕があったのか、いつも必死で先生の話を聞いて、ノートに先生の話を全部書いてて、すごいねえらいねと言われてましたが、実は授業そのものを全く覚えていないので後から見直す自分のノートはいつも初めて読む参考書のように感じていたのでした。だから完璧に書いておかないと訳がわからないのです。

 ただ、文字にしておくと、そのノートの見開きをじーっと見て、いらない紙に手で書いて、覚えて寝ると次の日には頭にそのまま定着していて、それでしばらくはかろうじて覚えることができ、頑張ればテストでもいい点が取れました。視覚優位というらしいです。見て覚えるのが得意という訳ではなく、耳で聞くよりまだまし、という程度です。先生が黒板に説明のために適当に描いた絵なんかは今でもぼんやり覚えていたりするのですが。

 もちろん、全く何も覚えられない訳ではなく、かなり苦労した語学なんかも自分で何度も何度も同じ文を暗唱して覚えたりはしていました。

 

 また、私は親がピアノの先生で、家に教室があって幼稚園から高校2年くらいまで、中学受験の時に2年位休んでいたことはあるのですがずっとピアノを習っていました(過去のことを覚えていないのですが多分)。十年近くやって、弾けるようになりませんでした。楽譜が読めなくて(ゆっくりド、レ、ミ、と数えたら読めるのですが、何度も楽譜を見てても次の時には音がわからず、楽譜を目の前に置いて弾こうとしてもスピードが速すぎて、音が上がる、下がる、しかわからない)暗譜も苦労しましたがどっちみち覚えて「上がる、下がる」で今どういうフレーズを弾くべき場面か判断するしかなかったので、今でも楽譜はその程度しか読めないです。で、習ってる時でも大学生になってからもいきなりピアノ弾けと言われたらねこふんじゃったしか弾けなかったし、何度も練習した楽譜を見てもまた一からになるので、楽譜とにらめっこでも指が動かせなかったです。と言ってもしばらくの間は覚えていられて3,4曲は楽譜を見ながらなら弾ける時期はありました。(そして忘れてまた一から)

 タッチタイピングとかもどうやって自分で指を動かしているかわからないので、そういうのは多分多かれ少なかれ皆そうで、普通なんじゃないかと思うのですが、十年やっても新しい曲になるとまた一からというのはどうなんだろう。指の力とか、別の技術的な部分はもしかしたら成長していたのかもしれませんが、自分ではいいのか悪いのか全然わからなくて、最後まで止まらずに弾ききれたらまあいいですって感じで大体合格させてもらってたのでした。

 

 人間関係では、仲間みんなでわいわい仲良くするのはあまり好きじゃなくて、空気読めない、とかいうことは陰で言われていました。変なことして微妙な空気になることもよくあって、そういうのも実は結構自覚していた気がします。でも特にそれで意地悪されたりするわけではないので、私はそのままでいたのでした。心療内科のせんせーにも診断結果が出た後になって、「質問に対して帰ってくる答えがちょっとずれてることがあるなあとは思ってました」と言ってて、確かに私もそれは、あれっ、今の返答は考えてみたら変だったのかも、違うことを聞かれていたのかも、あれ、何の質問されたんだっけ、わかんなくなっちゃった、とかは自分でも感じていました。空気を全く読み取れない訳ではなく、空気を読んでそれをふまえた言動を取ることができない、ということなんだと思います。

 

f:id:nanori_nigatsu:20170408200906j:plain。。。 という感じで、生活できないと言うには結構微妙で、それだけならさほど大袈裟に考えなくてもよかったのかもしれないです。真面目だから面接の印象もいいし、就職できない訳ではないのかもしれない。パートで勤めたところでは「こんなきれいな履歴書初めて見た」と言われたこともあります。仕事も真面目にするから褒められたりできる人、と思われたりすることもありました。場所を選べばなんとかかんとかできないこともなかったかもしれません。

 ただ、私は十代の頃ストレスから発症したと思われる難病で日常生活がかなり不自由でした。その難病もコントロールできていたら普通の人と同じようには頑張れるかもしれないのですが、ADHDのせいかコントロールがかなり難しくて、いつも混乱して訳がわからなくなっていました。ADHDと難病。どっちか片方だったらまだ、「普通」の範囲で生活できたんじゃないかと思います。でも、これが重なって、また、子供が生まれてからは全てができなくなってしまい、既にメモリオーバーになっていました。それでパニックになってせんせーに泣きついたら、臨床心理室に送られることになったのでした。 

 またつづく。

やばめだけど日記(2)…ADHDと診断

  さて、意味不明なタイトルつけてしまったのに長くなりそうで焦ってますが、日記つづきです。

 自分でも概要がわかっていないので、整理するためにもここにまとめてみます。

 十年ほど前に飛行機で行くような遠い所の病院の心療内科に半年ほど入院したことがありました。その時の主治医が私の退院直後に偶然私の住む関東隣県に異動することになって、退院後その病院に通っていました。それから数年後もっと近くの病院にそのせんせーが異動してきて、今はそこへ通っています。だからせんせーには十年くらい診てもらっていることになります。もともと難病の方での治療からの入院だったのですが、その他いろいろ身体に不調が出てきてしまうのでよくわからないことになっていて、不安障害などの診断はついていました。長年眠れる薬や不安を抑える薬などを処方されていたんですが、何故か数か月前になって急に臨床心理室に送られ、心理士さんと一対一でいろんなテストを受けました。結果、はっきりADHDと言えるわけではないけれど注意欠陥のそれが疑われる、という程度の診断が出てました。心理士さんとのやりとりで出たものはそれで終わりなので、あ、私はADHDではないということなのかな? と思ったら、その後は長年の主治医であるせんせーがその他のいろんな部分を見て結論を出したらしく、最近になってまたよくわからないのですが私はADHDということになっていました。知能検査も受けたのですが一応ほとんど普通の範囲で、でも作動記憶の部分だけが他と比べると極端に低く出ていたのでそれが決め手で、軽く発達障害ということに落ち着いたらしいです。作動記憶は、流れていくような情報を覚えている機能のことで、ワーキングメモリとも言います。数秒程度の短い時間内に物事を覚えて、それを処理していくようなことで、発達障害の人はそれが苦手という特徴があるのだそうです。わかりやすく説明する為に、もっと大掛かりなことになるのでちょっと違うかもしれないけど大雑把にこんな感じというので書くと、例えば競技かるたで札の並びがどんどん変わる、その一時的な状態を記憶し、どの札が読まれどの札がまだとか、常時更新していく情報を捨てたり拾ったりしながら頭の中で処理する(今の状況から次に読まれる札の頭の何文字で特定の札を取ればいいかとかを判断したり)みたいな。(競技かるたどころか、私の場合買い物に来て、人参と長ネギが必要なのに今家に無いから今から探して買おう、ついでにあのお菓子が安くなってたら買っておこう、というのを頭に入れた状態でスーパー内を動くのもかなり苦手です。家で座って考えてると普通にできそうなのに、実際スーパーに行くとほぼ買えません)

 

 帰納法的な考え方は結構苦手だけれどゆっくり考えればいろいろ論理的に考えることもできるし、人の気持ちが全くわからないわけでもないし、つまり、私はそれほど生きるのに支障はない、と周囲からは判断される範囲だけれど、軽いADHDなのかな、とやっと最近理解して(こういう理解が本当によくわからないのです。かもしれない、とか疑いがある、とかいう曖昧な言葉が混じると〇×どっちかに自分で勝手に結論を持って行ってしまっていつの間にかそれが正しいと思い込んでいたり。)います。

 

 またつづく(多分)

やばめだけど日記(1)

――他の人はもっともっと大変だと私は思っているし、自分だけが大変だと思ったりすることは無いと思う。私は結構恵まれている方だと思う。私は割と運が良くて、人にも恵まれて親切にしてもらうことがいっぱいあってその点は正直感謝している。私は誰に聞かれてもそう言うしそう思ってる、と自分で思ってる。そんな私でさえ苦しいんだから、生きることは凡て、大変なことだと言ってる。ただ、どこかいろいろと矛盾しているようだけど、世界全体への憎しみや怒りが消えない。これは前提。

 

 先日心療内科の方の主治医に、やっぱり私はまだまだ努力が足りないんじゃないかと思うと言ったら、せんせーは、悪いけどはっきり言ってできない人はどう頑張ってもできないんだよと……。まあそうなんですね。この歳までどうしてもできなかったことを努力でどうにかするのは無理というのもわかるし、私の場合怠け者だから努力できないんだと思い込んでいたけど、そう思いつつ自分でも認めるけど小さい頃から真面目ではあって、真面目に真面目にやってると結果潰れて心身酷いことになって、結局入院。またちょっと入院を勧められた。まあ小さい子供がいるんで現実的じゃないけど。

 だから最近あんまり努力もしてなくて。努力すればできるであろう(実際はできない)はずなのに努力しないということに対して寛容な人はあんまりいないですよ。他人は別に何とも思わないかもしれないけど、影響を受ける人たちとか、家族とかにしてみればたまったもんじゃないでしょう。かなり匿名ブログっぽいのでここでは書くけど、世の中には努力していないことを隠し続け、ずっとダメな人でダメな人のままダメな人生をいくしかないのかなーと思ってました。

 私と同じ身体的な持病のある他の人は結構、注射さえしてれば普通の人と同じように生きられると言ってるから、きっと私もそうできるんだろうと思ってたけど、結局できなくて(数日前も意識を失いかけてたけど幸い保健所内だったので万一私が意識を失ったとしても子供を守ってくれるひとは大勢いた)やっぱ駄目かもとせんせーに言ったら、普段あんまりアドバイスのようなことをしてくれないせんせーが上記のように言われた。この先生はあんまり頼りにならないし、とんちんかんなことばっか言って「えっそうだったっけ? 前から? そんなこと言ったことある?」とか、私はずっと言ってたじゃん!! ってな感じで、先生の方針や言ってることが迷走したり、勘違いしたまま余計な事を言ったりしたり……大丈夫なのかなこの先生と思う時もある。しかし私がこの人は敵じゃないと思っている数少ない人の一人なので、やっぱりどこかで私はせんせーを信頼しているのかもしれない。十年くらいの付き合いだけど何故か初めからずっと私の感じ方は同じだった。

 

つづく予定。(多分)

北風と太陽

 最近のドラマとは全然関係ない話ですが……。

 イソップ寓話の北風と太陽の話って、最近の教え方なのかわからないけど北風がちょっと悪い人(っていうかダメな人)で太陽がいい人、大物っぽく書かれてることがあって、あれ?そんな話だっけと考えてしまいました。別に太陽も温かみがあっていい人という訳ではないですよね。そもそもたまたま近くにいた人のコートを脱がせる競争とか、頭から人を馬鹿にしてるし、北風はあきらかに寒さと暴風で攻撃してるからわかりやすいとしても、旅人が暑さのあまりコート脱ぐどころか裸になって川に飛び込むまでジリジリ照りつけるって、気温差一気に十度二十度?北風と同じ程度には人に危害を加えてるよね。初めて本で読んだ時から子供心に、こいつら人を馬鹿にしてると思いました。太陽は心が温かいから勝ったんじゃなくて、残酷で頭がいいから勝った訳で。どっちが自分の能力を用いて強引な手を使ってでも(太陽も強引でしょう……)目的を達成するかって、狡猾で残酷なゲームだと思う。イソップとかの生きた時代(紀元前)は寒さ暑さ暴風干ばつ低日照が即人間の生活や生き死にに影響した、つまり北風も太陽も人を簡単に殺すことができる存在とはっきり意識していたんだと思うし。
 大自然と比較すれば人間はちっぽけで無力というのは否定できないけど、比較して人間の心の苦しみを矮小化してしまうような考え方が子供の頃から私は好きじゃなかった、というのもあると思いますが。あいつら二人が上から目線なのは確かだと思う。

 と、文句つけつつ、そういう所が良くもあるんですよね。この尊大な力比べの話は今読んでもユニークで、結構好きです。

パーカー

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 パーカーを子供に着せたらファスナーを閉めないと肩からずり落ちてしまってこまる。。。実は私自身もジップアップパーカーって何故か肩からずり落ちてしまうので、常にファスナーは完全に上まで上げていないといけない状態です。構造を見ても何故なのかよくわからないんですが、フードがついていると物理的に肩が横方向に開いてしまうのかな?? 本当に、着ていられないくらい。料理中もすごく困るし、何もしなくてもずりずり肩から後ろ→背中へと落ちて動きにくいったら……。どんどん脱げてくるというか(汗)。普通そんなことないのかな?? 姿勢が悪いの? 多少なで肩だけど、そこまで極端でもないと思うんだけど……。

 パーカーってちょっと室内着やパジャマの上に着たり、カジュアルに着たいんですが、気温室温によって前を開けたいことが多いんですよね。肩や背中は寒いけどだんだん熱がこもってきて……って。ジップアップでないのもそうだけど、家でパーカー着てると、ちょっとそこまで買い物に行くんでも、外用の上着を着るとパーカーのフードが邪魔でコートのファスナーが閉められなかったりなんだりで(コートの外とかに出すとかっこ悪い~)、着替えていかないといけません。あのフードってかぶることもないのに何でついてるんだろう。。。大雪とか本当に極寒の時にはかぶるとあったかそうだけど。素材は伸縮がよくて普段着るのにすごく楽でいいものが多いと思うのになかなか思うようになりません(´・ω・`)

 この写真のもすごく気に入ってるのに着られず(><)

くつ下

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お題「くつ下」

最近可愛いくつ下達を思いきって売り飛ばしました……

昔からくつ下が好きで、使わないのについ買ってしまう事がよくありました。柄とか色とか模様とか、見た目が好きで。
でも着るもの履くものって、着心地がすごく重要だし、靴下のような小さいものでもコーデを考えると使い勝手が悪かったり。そういうのよくわかんないから気にしない方なのかと自分で思ってたんだけど、案外こだわって、気になってしまう事に気付いて。開封もしないでしまってある使えない靴下が山になってました。で、肝心の使えるくつ下が無い……。
やみくもに単体で可愛いものを買うのはやめました。


《新しい掟》

・足にしっかりフィットするものを買う。←すぐ脱げてきて気持ち悪いから細身でぴしーと足裏を締め付けるものでないとすぐ嫌になる

・長さを考えて買うこと。長さが半端だとスカートの時変に見えて嫌!
短かすぎるくつ下はレギンスの時何故か足首が出てしまうからよく考える。

・真っ白などは、汚すのが嫌と感じて履けないので買わない

・薄手のものは靴の中で滑らないか? かかとが靴擦れしないか? 素材を確認して買う。

・赤や黄色、黄緑などカラフルなのは私には履きこなせないよ……必要になってから買うこと。

三鷹行ってきました

 写真がうまく貼れません(´;ω;`)ブログ難しいです。

 

 独身時代何となく買って以来なんか好きだった湯呑を最近フライパンの取っ手にぶつけてしまい(TT)ちょっと欠けてしまって、金継ぎしてもらえるお店が三鷹にあることがわかったのでよし、行くぞと思っていたところ、たまたまよそのブログ様で、無人古本屋さんというのが三鷹にあるというのを知って行ってみたんです。(ありがとうございます!)

 

hachi-log.hateblo.jp

 

 BOOK ROADさんは24時間営業とのことで、入るとセンサーで電気がつきました。じっと読みふけっていたら消えてびっくり。。。動くとつきました。サボテンとかあって、何かすごく雰囲気がいい、本棚!って感じのお店で心が落ち着きました。

 金継ぎのところと全く逆方向でしたがどっちもそれほど駅から遠くはないので寒い中ベビーカー押して行ってきました。また行こうと思います。

 

 夕方遅かったせいか本は他の方々の写真と比べて結構少なかったですが、それでもいろいろあって、個人的に気になる東欧雑貨関連の本とかもいっぱいありました。でも何故かいきなり屠畜の本に引き付けられて買ってしまいました。と、屠畜……?! って手に取って……

 

 ガチャガチャでお支払い。本の代金分のお金を入れてガチャガチャをしたらビニル袋が入ったカプセルが出てきて、その袋に本を入れて帰れます。すごいシステム思いつくなあ!

 

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

 

 この直前にアンパンマンのガチャガチャを素通りしようとしたらイヤイヤ期の子供がひっくり返って泣きわめいて大変だったので仕方なく一回させたらけろっとご機嫌になって、しかもちょっと遊んですぐ「いらない」と渡してきて(怒)ガチャガチャめ~子供目線上に置いてくれよって~と怒っていた私ですが、私は私でガチャガチャすることになるとは。 

 

 三鷹は結婚してすぐ住んでいたことがあり、すごく懐かしかったです。半年くらいしか住んでいなかったので知っている地帯はかなり限られていますが。あまり変わらない町だけれど、十年も経つとやはりあれこれ変わっています。でもここにこういう店があったなとかいろいろ懐かしく思い出しました。まあ、今でも駅前は時々行ってるんですが。隣の吉祥寺じゃなくてわざわざ三鷹に買い物とか遊びとかに行ったり(笑)懐かしのコラル、昔から好きだった広い本屋は時間の関係で行けなかったけれど、ハニーズでちゃちゃっと買い物してきました。

 

 金継ぎが無事済んで戻ってきたらまたそのことを書かせてもらうかも。

 しかし寒かった!!!