やばめだけど日記(2)…ADHDと診断

  さて、意味不明なタイトルつけてしまったのに長くなりそうで焦ってますが、日記つづきです。

 自分でも概要がわかっていないので、整理するためにもここにまとめてみます。

 十年ほど前に飛行機で行くような遠い所の病院の心療内科に半年ほど入院したことがありました。その時の主治医が私の退院直後に偶然私の住む関東隣県に異動することになって、退院後その病院に通っていました。それから数年後もっと近くの病院にそのせんせーが異動してきて、今はそこへ通っています。だからせんせーには十年くらい診てもらっていることになります。もともと難病の方での治療からの入院だったのですが、その他いろいろ身体に不調が出てきてしまうのでよくわからないことになっていて、不安障害などの診断はついていました。長年眠れる薬や不安を抑える薬などを処方されていたんですが、何故か数か月前になって急に臨床心理室に送られ、心理士さんと一対一でいろんなテストを受けました。結果、はっきりADHDと言えるわけではないけれど注意欠陥のそれが疑われる、という程度の診断が出てました。心理士さんとのやりとりで出たものはそれで終わりなので、あ、私はADHDではないということなのかな? と思ったら、その後は長年の主治医であるせんせーがその他のいろんな部分を見て結論を出したらしく、最近になってまたよくわからないのですが私はADHDということになっていました。知能検査も受けたのですが一応ほとんど普通の範囲で、でも作動記憶の部分だけが他と比べると極端に低く出ていたのでそれが決め手で、軽く発達障害ということに落ち着いたらしいです。作動記憶は、流れていくような情報を覚えている機能のことで、ワーキングメモリとも言います。数秒程度の短い時間内に物事を覚えて、それを処理していくようなことで、発達障害の人はそれが苦手という特徴があるのだそうです。わかりやすく説明する為に、もっと大掛かりなことになるのでちょっと違うかもしれないけど大雑把にこんな感じというので書くと、例えば競技かるたで札の並びがどんどん変わる、その一時的な状態を記憶し、どの札が読まれどの札がまだとか、常時更新していく情報を捨てたり拾ったりしながら頭の中で処理する(今の状況から次に読まれる札の頭の何文字で特定の札を取ればいいかとかを判断したり)みたいな。(競技かるたどころか、私の場合買い物に来て、人参と長ネギが必要なのに今家に無いから今から探して買おう、ついでにあのお菓子が安くなってたら買っておこう、というのを頭に入れた状態でスーパー内を動くのもかなり苦手です。家で座って考えてると普通にできそうなのに、実際スーパーに行くとほぼ買えません)

 

 帰納法的な考え方は結構苦手だけれどゆっくり考えればいろいろ論理的に考えることもできるし、人の気持ちが全くわからないわけでもないし、つまり、私はそれほど生きるのに支障はない、と周囲からは判断される範囲だけれど、軽いADHDなのかな、とやっと最近理解して(こういう理解が本当によくわからないのです。かもしれない、とか疑いがある、とかいう曖昧な言葉が混じると〇×どっちかに自分で勝手に結論を持って行ってしまっていつの間にかそれが正しいと思い込んでいたり。)います。

 

 またつづく(多分)

やばめだけど日記(1)

――他の人はもっともっと大変だと私は思っているし、自分だけが大変だと思ったりすることは無いと思う。私は結構恵まれている方だと思う。私は割と運が良くて、人にも恵まれて親切にしてもらうことがいっぱいあってその点は正直感謝している。私は誰に聞かれてもそう言うしそう思ってる、と自分で思ってる。そんな私でさえ苦しいんだから、生きることは凡て、大変なことだと言ってる。ただ、どこかいろいろと矛盾しているようだけど、世界全体への憎しみや怒りが消えない。これは前提。

 

 先日心療内科の方の主治医に、やっぱり私はまだまだ努力が足りないんじゃないかと思うと言ったら、せんせーは、悪いけどはっきり言ってできない人はどう頑張ってもできないんだよと……。まあそうなんですね。この歳までどうしてもできなかったことを努力でどうにかするのは無理というのもわかるし、私の場合怠け者だから努力できないんだと思い込んでいたけど、そう思いつつ自分でも認めるけど小さい頃から真面目ではあって、真面目に真面目にやってると結果潰れて心身酷いことになって、結局入院。またちょっと入院を勧められた。まあ小さい子供がいるんで現実的じゃないけど。

 だから最近あんまり努力もしてなくて。努力すればできるであろう(実際はできない)はずなのに努力しないということに対して寛容な人はあんまりいないですよ。他人は別に何とも思わないかもしれないけど、影響を受ける人たちとか、家族とかにしてみればたまったもんじゃないでしょう。かなり匿名ブログっぽいのでここでは書くけど、世の中には努力していないことを隠し続け、ずっとダメな人でダメな人のままダメな人生をいくしかないのかなーと思ってました。

 私と同じ身体的な持病のある他の人は結構、注射さえしてれば普通の人と同じように生きられると言ってるから、きっと私もそうできるんだろうと思ってたけど、結局できなくて(数日前も意識を失いかけてたけど幸い保健所内だったので万一私が意識を失ったとしても子供を守ってくれるひとは大勢いた)やっぱ駄目かもとせんせーに言ったら、普段あんまりアドバイスのようなことをしてくれないせんせーが上記のように言われた。この先生はあんまり頼りにならないし、とんちんかんなことばっか言って「えっそうだったっけ? 前から? そんなこと言ったことある?」とか、私はずっと言ってたじゃん!! ってな感じで、先生の方針や言ってることが迷走したり、勘違いしたまま余計な事を言ったりしたり……大丈夫なのかなこの先生と思う時もある。しかし私がこの人は敵じゃないと思っている数少ない人の一人なので、やっぱりどこかで私はせんせーを信頼しているのかもしれない。十年くらいの付き合いだけど何故か初めからずっと私の感じ方は同じだった。

 

つづく予定。(多分)

北風と太陽

 最近のドラマとは全然関係ない話ですが……。

 イソップ寓話の北風と太陽の話って、最近の教え方なのかわからないけど北風がちょっと悪い人(っていうかダメな人)で太陽がいい人、大物っぽく書かれてることがあって、あれ?そんな話だっけと考えてしまいました。別に太陽も温かみがあっていい人という訳ではないですよね。そもそもたまたま近くにいた人のコートを脱がせる競争とか、頭から人を馬鹿にしてるし、北風はあきらかに寒さと暴風で攻撃してるからわかりやすいとしても、旅人が暑さのあまりコート脱ぐどころか裸になって川に飛び込むまでジリジリ照りつけるって、気温差一気に十度二十度?北風と同じ程度には人に危害を加えてるよね。初めて本で読んだ時から子供心に、こいつら人を馬鹿にしてると思いました。太陽は心が温かいから勝ったんじゃなくて、残酷で頭がいいから勝った訳で。どっちが自分の能力を用いて強引な手を使ってでも(太陽も強引でしょう……)目的を達成するかって、狡猾で残酷なゲームだと思う。イソップとかの生きた時代(紀元前)は寒さ暑さ暴風干ばつ低日照が即人間の生活や生き死にに影響した、つまり北風も太陽も人を簡単に殺すことができる存在とはっきり意識していたんだと思うし。
 大自然と比較すれば人間はちっぽけで無力というのは否定できないけど、比較して人間の心の苦しみを矮小化してしまうような考え方が子供の頃から私は好きじゃなかった、というのもあると思いますが。あいつら二人が上から目線なのは確かだと思う。

 と、文句つけつつ、そういう所が良くもあるんですよね。この尊大な力比べの話は今読んでもユニークで、結構好きです。

パーカー

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 パーカーを子供に着せたらファスナーを閉めないと肩からずり落ちてしまってこまる。。。実は私自身もジップアップパーカーって何故か肩からずり落ちてしまうので、常にファスナーは完全に上まで上げていないといけない状態です。構造を見ても何故なのかよくわからないんですが、フードがついていると物理的に肩が横方向に開いてしまうのかな?? 本当に、着ていられないくらい。料理中もすごく困るし、何もしなくてもずりずり肩から後ろ→背中へと落ちて動きにくいったら……。どんどん脱げてくるというか(汗)。普通そんなことないのかな?? 姿勢が悪いの? 多少なで肩だけど、そこまで極端でもないと思うんだけど……。

 パーカーってちょっと室内着やパジャマの上に着たり、カジュアルに着たいんですが、気温室温によって前を開けたいことが多いんですよね。肩や背中は寒いけどだんだん熱がこもってきて……って。ジップアップでないのもそうだけど、家でパーカー着てると、ちょっとそこまで買い物に行くんでも、外用の上着を着るとパーカーのフードが邪魔でコートのファスナーが閉められなかったりなんだりで(コートの外とかに出すとかっこ悪い~)、着替えていかないといけません。あのフードってかぶることもないのに何でついてるんだろう。。。大雪とか本当に極寒の時にはかぶるとあったかそうだけど。素材は伸縮がよくて普段着るのにすごく楽でいいものが多いと思うのになかなか思うようになりません(´・ω・`)

 この写真のもすごく気に入ってるのに着られず(><)

くつ下

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お題「くつ下」

最近可愛いくつ下達を思いきって売り飛ばしました……

昔からくつ下が好きで、使わないのについ買ってしまう事がよくありました。柄とか色とか模様とか、見た目が好きで。
でも着るもの履くものって、着心地がすごく重要だし、靴下のような小さいものでもコーデを考えると使い勝手が悪かったり。そういうのよくわかんないから気にしない方なのかと自分で思ってたんだけど、案外こだわって、気になってしまう事に気付いて。開封もしないでしまってある使えない靴下が山になってました。で、肝心の使えるくつ下が無い……。
やみくもに単体で可愛いものを買うのはやめました。


《新しい掟》

・足にしっかりフィットするものを買う。←すぐ脱げてきて気持ち悪いから細身でぴしーと足裏を締め付けるものでないとすぐ嫌になる

・長さを考えて買うこと。長さが半端だとスカートの時変に見えて嫌!
短かすぎるくつ下はレギンスの時何故か足首が出てしまうからよく考える。

・真っ白などは、汚すのが嫌と感じて履けないので買わない

・薄手のものは靴の中で滑らないか? かかとが靴擦れしないか? 素材を確認して買う。

・赤や黄色、黄緑などカラフルなのは私には履きこなせないよ……必要になってから買うこと。

三鷹行ってきました

 写真がうまく貼れません(´;ω;`)ブログ難しいです。

 

 独身時代何となく買って以来なんか好きだった湯呑を最近フライパンの取っ手にぶつけてしまい(TT)ちょっと欠けてしまって、金継ぎしてもらえるお店が三鷹にあることがわかったのでよし、行くぞと思っていたところ、たまたまよそのブログ様で、無人古本屋さんというのが三鷹にあるというのを知って行ってみたんです。(ありがとうございます!)

 

hachi-log.hateblo.jp

 

 BOOK ROADさんは24時間営業とのことで、入るとセンサーで電気がつきました。じっと読みふけっていたら消えてびっくり。。。動くとつきました。サボテンとかあって、何かすごく雰囲気がいい、本棚!って感じのお店で心が落ち着きました。

 金継ぎのところと全く逆方向でしたがどっちもそれほど駅から遠くはないので寒い中ベビーカー押して行ってきました。また行こうと思います。

 

 夕方遅かったせいか本は他の方々の写真と比べて結構少なかったですが、それでもいろいろあって、個人的に気になる東欧雑貨関連の本とかもいっぱいありました。でも何故かいきなり屠畜の本に引き付けられて買ってしまいました。と、屠畜……?! って手に取って……

 

 ガチャガチャでお支払い。本の代金分のお金を入れてガチャガチャをしたらビニル袋が入ったカプセルが出てきて、その袋に本を入れて帰れます。すごいシステム思いつくなあ!

 

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

 

 この直前にアンパンマンのガチャガチャを素通りしようとしたらイヤイヤ期の子供がひっくり返って泣きわめいて大変だったので仕方なく一回させたらけろっとご機嫌になって、しかもちょっと遊んですぐ「いらない」と渡してきて(怒)ガチャガチャめ~子供目線上に置いてくれよって~と怒っていた私ですが、私は私でガチャガチャすることになるとは。 

 

 三鷹は結婚してすぐ住んでいたことがあり、すごく懐かしかったです。半年くらいしか住んでいなかったので知っている地帯はかなり限られていますが。あまり変わらない町だけれど、十年も経つとやはりあれこれ変わっています。でもここにこういう店があったなとかいろいろ懐かしく思い出しました。まあ、今でも駅前は時々行ってるんですが。隣の吉祥寺じゃなくてわざわざ三鷹に買い物とか遊びとかに行ったり(笑)懐かしのコラル、昔から好きだった広い本屋は時間の関係で行けなかったけれど、ハニーズでちゃちゃっと買い物してきました。

 

 金継ぎが無事済んで戻ってきたらまたそのことを書かせてもらうかも。

 しかし寒かった!!!

新しく始めたいこと

今週のお題「新しく始めたいこと」

 

 新しく始めたいことが密かにあって、もしかしたらこういうことはもっと若い時にするもんだと言われるかもしれないけど、でもやってみたい気がする。だって、一人暮らしとか一人旅とか、好きな勉強とか、海外(地方)留学とか、変わった趣味とか、もちろん若い時にしかできなかったかもしれないこともあるんだろうけれど、どれも私が「結婚前の若い女がとんでもない」とか言われることだった。ということは、昔、若い時は好きにできない、が当たり前の時代があって、今は若い時にしか好き勝手できないよ、と言われる時代だけれど、そのうち「自分の為の人生なんて60まで、それからは親、または親世代の介護をしなきゃならない時代よ!」と言われる時代になってるかもしれない。若い時にできなかったことを老後にいろいろしたいなと思っていたけれど、考えてみたら、これからせっせと子育てして子供のための人生が終わったらもうすぐ還暦じゃん。それまで何もしなかったのに老後に好き勝手に生きられる状況を自分で作れているかと考えると疑問だ。まさに今、遅いと言われようがなんでもやってみていいんじゃないかと思う。

 

 少なくとも、昔「大人になったらわかるよ」とか、「後から考えると若い時の悩みはただの~だったとわかるよ」、と言われた類のことで本当にそうだったなあ、と思うことは今のところひとつも無い。まだ私が未熟すぎるということかもしれないけれど、人の言う事に今も全然納得していないことは確か。偉そうな事言えない流されてきた私だけれど、時代が変われば基準も変わるから、人によって時によって私に押し付けてくるものは違っていて、その全部に屈していては私が好きな事をする隙が無い。周囲の言う事よりも、自分の納得することを、失敗してもいいから(むしろ失敗くらいいくらでもした方がいいんだと思う)やってみたい。

 でもそれはとても勇気のいることで、若い時と違って、或る程度歳をとって自分の弱点を知れば知るほど、本当に新しいことがやっていけるのか不安になってしまうものだと思う。