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山崎十日市で買ったもの

先日山崎の十日市に行ってきました。何度か行ったことがあったんですが、十年以上続いているとのことで結構歴史があるんですね。

手作り品がメインなようですが、その他のものもありました。

 

いろんなサイズのがま口があってめちゃくちゃ迷ってしまいました。柄がどれも素敵で、センスがいいなあ~。気になったうちの、一番使いそうなサイズのに。裏と表が違う柄です。

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↓ガラス雑貨を作ってる方のところで見つけたネックレス。透明ガラスのもあったんですが、これが何かいいなあと思いました。もやっとした色合いが不思議な魅力。焼いてみてから、いい模様の部分を切り出して作るのだそうです。だからこれも、偶然できた模様のようです。

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↓何かいい感じのお茶碗。見て「好きな感じ」と思ったので購入。お皿、中でもお茶碗ってそんなに割れるもんじゃないし、大抵家族が買ってきてくれたもの、人にもらったのを長年使うものだと(?)思いますが、ごはん食べるお茶碗も自分で好きだと思うものを使いたいなあとずっと思ってました。

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若いお兄さんが益子焼の先生に師事して作った、先生の登り窯で焼いたものらしく、電気釜その他と違って費用もかかるので高いけれど、風合いが良くなるそうです。詳しいことを聞いてもよくわからなかったですが……

好きな感じだったのですがいまいち自分は物の価値がわからず食器を買うことがあまり無いので、食器が好きで詳しい義母を呼んできてこれどうでしょうねえと聞いてから買いました(この時そんなにお金を持ってってなかったので一応)。いいんじゃないのということで思いきれました。と言っても千円台(でも同じ方の他の現代風な作品より高かったんで、、)……確かに、他の益子焼の値段を聞いたらうわわわわっとなったから、お買い得だったのではないでしょうか。なにより、好きな感じならそれで、なかなかいいお買い物。

 

最後は帽子。こんなの作るなんてすごいですね。

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この日一番の目的のもの。売っている作者の方が同じテイストの帽子をお召しで、清楚な感じの女性だったのですがとってもお似合いで。もしかして以前買った帽子屋さん? 違うかも?? 記憶に自信がないのでわかりませんが……とにかくあの帽子屋さん来てないかなーと思って来てみたら、帽子屋さんありました。

私は普段よく帽子をかぶっていて、そんなに普段おしゃれな帽子好きという程でもないんですが、でもやっぱり帽子は好きです。でも慣れないと帽子って難しいですよね。色形がよくてもファッションに合っていなかったり季節にあっていなかったり、また被る人の頭の形、顔の形、髪型いろんなものによって似合ったり似合わなかったり。選ぶ自信が無くてなかなか冒険することは無いですが本当はいろいろ被って歩きたい……。これはラタンっぽいつばが付いていて、年中かぶれるわけではありませんが、春~秋長く使えそう。私は頭が冷えると酷い頭痛がするので、冬は必ずニットその他の帽子を被っています。特に風が強い日は忘れず被ります。夏は日焼け防止につばのある帽子。これがなかなか難しく。大抵、お気に入りのキャスケットを被っていますが、どうしてもカジュアルになるので、お洒落な感じの服装でもかぶれるものを探しました。カジュアル過ぎず、よそいき過ぎず。

この帽子は黄色いリボンがぱっと見てかわいいなと思ったのと、頭の形がまあるくなって(きりかえが付いていて上に丸い円形の布がある構造のほうが浅くかぶれて視界が遮られにくいらしいのだけれど)感じがいいなあとこれにしました。

 

JR山崎のロータリー傍にある、cafe tabitabiの2階の「Relish」というお店も雑貨などがいろいろあって、ここもおすすめです。

やばめだけど日記(5)…対応策~メモが取れない、目に入らない

忘れっぽいことに対して何かしなきゃと思った私は、いろんなことをメモするようにしました。以前からよくメモはする方でメモ帳を持ち歩いたりはしていたんですが、日々の生活に関するメモをするようになったとき、問題に気付きました。
まず、メモをどこかへやってしまうこと。
メモするのを忘れてしまう。
メモを見るのを忘れる。
メモを見てもちゃんと読めていない。目に入らない。


大体はもしかしたらあるあるかもしれませんが、私がストラテラを飲んでいる今もすごく困っているのは最後の「メモを見てもちゃんと読めていない」「目に入らない」です。
先日、確定申告の書類を作成して提出したのですが、親切なことに提出漏れのないようチェックリストがついていました。私はちゃんとチェックリストにチェックマークを入れながら封筒に書類を入れていき、全部入れたと思って出しました(税務署ではなく役所に持っていったのでチェックはしてもらえない)。
ところが、数週間、あるいは一、二ヶ月くらいして(すみませんこういう時間の間隔がわからないのです)机を整理していたら、確定申告で出さないといけないはずの書類が出てきたのです。混乱しました。これ、そうだよね?入れてなかったかも?!とようやくわかって、慌てて関係資料や取っておいたコピーを見たら、ちゃんとチェックリストにも載っている書類で、他の項目はチェックマークがあるのに何故かこれだけチェックがついていなくて、やっぱり入れていませんでした……。
この行だけ目に入っていなかったというか、目には入れたけど何故か頭が「これははねとく」と勝手に判断してしまったような感覚です。その理由も私にはよくわかりませんが、これははねておく、というような不思議な頭の咄嗟の判断はこれまでにもいろいろ有った気がします。文字列を「全てが必要な情報」として認識できていないというか。この行だけ一行で収まりきれていないから異質な、自分に関係ないものと勝手に認識してしまったとか。私はちゃんと見たつもり、ちゃんとチェックしたつもり、でもできていない……。

決して面倒だからちゃんとしなかったわけでもなく。いや、すっごくすっごく面倒だけど。だから取りかかるまでのハードルが高くてなかなか取りかかれないけど。でもがんばって取りかかるとわりとなんとかかんとかできるもので。他の人も面倒だろうことも案外結構こまめにしたがる性格だと思うのですが、どっちでもいいことを必要以上にこまめにやってしまい、必要なポイントをこまめにできていないのかもしれないです。でも本人としてはこまめにやってるから、かなり疲れていつも消耗しています。こういう取捨選択が難しいのです……。
こういうのはなかなか人にわかってもらえません。むしろ、何かをよくこまめにやってるから、いきなり変な失敗をすると「できるのにやらない」「こんな簡単なことを間違えるなんて、普通するような簡単なチェックをさぼるからだ」とやっぱりダメな人認定です。そう言われてもチェックは全く簡単ではありません。目に入らないものを目を皿にしてみてもやっぱり見えない。ADHDの人は物事を人より面倒に感じてしまうような所があるようですが、私の場合で言うと、書類のチェックと、例えば生徒会役員に立候補するのとでは同じくらいの面倒さやハードルの高さを感じるのです。頑張れば全くできない訳じゃない、けど、かなり大変で思いきりがいる。人より大袈裟に面倒に感じるというか。

もちろん開き直ってるわけではなく、人に迷惑かけてしまうのは申し訳ないと思っています。

とにかく、よく確認しても、メモをするようにしても、それまで普通にできていたのにあるとき突然のように間違って、気付けば何故自分が間違ったかもよくわからず、反省しようにも次回の失敗を防ぐ手段が無い、という形の失敗ばかりです。今度は○○関係は三回チェックしよう、と思ってもその決意を覚えていられないし、書いておいてもその紙はすぐどこかへ行ってしまうし、メモは張っておいて何度か見ると何故か内容が頭に入らなくなります。内容のある文字ではなく、何かそこにある、意味の無い模様に見えて、目に入らなくなってくるのです。そう、もう目に入らないのです。
チェックしなければいけない事は山のようにあり、やりきれないから必要な事だけ頑張って所々力を抜くと、何故かとんでもないことまで力を抜いてしまい大変な失敗に繋がってしまう。Aの場合は必ずやって、Bの場合はしなくてもいい、ということができないようです。だったらAでもBでも必ずしなければならなくなり、うっかり間違った時それがたまたまBならセーフ、たまたまAならアウト、という、不確実な対策くらいしかできません。

子供の頃から、私がトロいんで、親には「遅い百点より早い70点だ」と言われ、頼み事や質問に対する回答を急かされ続けましたが、これ、本当にきついです。普通でも早い70点なんて結構きついんじゃないかと思うのですが、私の場合、早くしようとすると、0点(間違ってる)とか1点(咄嗟に嘘をつく)とかになってしまうのです。でも遅くなら100点近くとれてしまうので、できないとやっぱり「できるのにやらない」扱いされていました。親でさえそう思っているのだから大抵の人にそう思われても仕方ありません。学校でもサークルでも平穏に暮らしているようで実は常に自分が何をしているのかわからなくなっている状態で、プレッシャーを感じていました。

自分の感覚が信じられず

すごく好きだった方が去年なくなって。信じられなくて、そうだ私はこういうこと全然覚えてられない人だし、こんな重大なことでも平気で勘違いするから、もしかしたら、やっぱり間違いなんじゃないかと思ったり。旦那さんに個人的にメールで聞けなくて。違ったら失礼だし、でも彼女が生きてる前提でメールするの、?も、本当のことだったら不謹慎かと。あのときは何故か本人の携帯にメールした。でも何て送ればいいのかわからなかった。何て送ったかな。そのうち旦那さんに、彼女が生きてる前提でメールしてしまいそうな自分が怖い。自分の感覚が信じられないというのはいつも怖い。

やばめだけど日記(4)…最近でも困っていたこと「視覚優位」

  栗原類さんが最近発達障害ということを世間に公表されたようで、本屋でパラパラ程度ですが本を見てみました。

 

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由
 

  今度買ってみようかなと思っています。栗原さんは私と違って聴覚のほうが視覚よりも優位だったみたいで、うるさい音がとてもストレスになっていたそうです。私は……心理検査をしてくれた心理士さんに検査後の会話の中で「視覚優位ですね」と言われました。耳で聞くのが苦手で、目で見る方が情報を頭に取り入れやすいようで、その時に初めて自覚しました。

 私はADHDの診断が下りてからストラテラという薬を飲むようになったのですが、それまでせんせーに出された薬はいつも飲むのを忘れてしまい、また複数の薬があるとどう飲めばいいかぱっとわからずにいつも困っていました(いらんこと言いのせんせーが、一応出しとくけどこれは飲んでも効かないと思うよとか言うから余計忘れててもまあいいかとか思っちゃうし)。もちろん、薬剤師さんが普通に文字でちゃんと印字してくれているのですが、どうして私にはわからないんだろうと考えて、調剤袋にこのように絵を描いてみました。

  

 ↑できるだけ簡潔に。 これでいつどの薬を何個飲めばいいのか一目瞭然です。これをちゃんと見れば飲み間違うことも面倒で飲まないまま忘れる習慣になることもなくなりました。確かに私は視覚優位で、カプセルの色や数を把握するには文字による説明より絵の方がぱっと見てわかりやすいです。もちろん文字をちゃんと読めば理解はできるけれど、毎日毎日何て書いてるか忘れてしまうので、毎日一から読み直さないといけないのが面倒で面倒で、それで飲まなくなってしまうようです。

  今は、寝る前に青い細長いのを2つ(40mg×2錠)、朝に半分青半分白の細長いのを1つ(25mg×1錠)で、一日105mgです。以前朝と夜半量くらいずつ飲んでいたら、毎日夜中に途中で目が覚めてしまうので、夜を多めにしてもらいました。

  これはいい例というか、視覚に敏感なことがあるのが良い働きをする例ですが、妙なところで敏感過ぎて苦労していることもあります。

 

 

 栗原さんが騒音に悩んでいたように、私は目に雑多な情報が入ってくるとうわあああとなってしまっていました。(ストラテラを飲み始めて何か月か経ちますが(すみません何か月かはわからないです)、そのせいか大分良くはなってきています)。よくツイッタをやっていた頃添付画像を表示しない設定にしていたのに何故か自然に表示されてしまうようになったりして、ツイッタってそういう強制的なのが苦手でした。それがハロウィンの時期だったんで最悪です(メイクでグロいゾンビの画像とか)。もともとツイッタとかスマホとかやり方が全然覚えられなくてストレスだったのに、見たくない画像が目の前にバンバン入ってくるのは私の場合かなりのストレスで。また画像が表示されないように設定したり、公式以外のアプリを使ったりしてはみたんですが、今度はアイコン(プロフィール画像)です。タイムラインを見ていくと、嫌でもその画像がたくさん目に入ってきます。これは消せません。これだけたくさんツイートやリツイートが回ってくると結構私の苦手な画像がたくさんあって、動くやつは怖いとわかるんですが、その他は私もどれが大丈夫でどれが大丈夫でないのかよくわからないです。とにかく受け入れられないものは本当に受け入れられなくて、それがどわーっと来ると……。リツイートは嬉しかったんですが画像の氾濫は実はちょっとつらかったです。

 

   

 実はこれは本当、ダメ人間過ぎて人に言えなかったことなんですが、「本の表紙」がかなり厳しいのです。私は本が大好きで、本屋さんに行くのは楽しいです。でも、本屋さんに並んでいる本は大抵表紙にカバーがついて、そこに絵か写真、文字が描いてあります。もちろん平気なものの方が多いと思うし、視覚でかなりの影響力があるのは多分平積みのだけです。その表紙の絵が、嫌で嫌で本を手に取れなかったり目を背けてしまったりで、表紙のせいで読めないことはもともとよくありました。特に人の顔の書いてあるものに苦手なものが多い気がします。

 子供向けの本は特に嫌いな感じの絵が多かったので、子供の頃は子供らしい本より極力表紙にも絵があんまり無い、挿絵も無い本の方が読みやすいことが多かったです。

 文豪とかの顔を描いた普通のイラストでもだめな時はだめです。(←ダメって、その絵がダメなんじゃなくて、受けいれられない私の受容体がダメということです)好きな作家さんだから買ったものの表紙が苦手で、どうしても読めない、という本が今も手元にあって。もし恐怖症のようなものとか、気のせいなら克服したいと思うんですが。絵は、うまい下手は一切関係ありません。うまいな、可愛いな、と思っても目をそらしてしまったり、嫌だ、と思ってしまうことがあるのです。そうなると拒否反応が出て、中を見るのが難しいです。

 これは本に限らず絵一般なのですが、身近な方やよく話す方の描かれた絵は大丈夫なことが多いのです。そういう、気分の問題なのか、それとももしかしたら人の描く絵を見る機会があった時、もしその絵が苦手だと思って、その上その方がそれをよくネットに上げたりするのを知った時点でもう私はその方からすっと離れているのかもしれません。ネット上では現実世界より結構簡単に人様の絵が観られるし、簡単にその人から離れられます。絵がその人そのものってくらい結びついていて、話したりする度にその絵がしゃべってるような気持ちになっています。何かのスタイルや思想がダメなわけでもないんじゃないかと思うし……個性的なタッチの人の顔の絵が苦手? 違うかな……絵について無知過ぎて分類もできないんですが、必ずではないけど、歪んだ線、その人の特徴を強調した絵、描き込んでいるのに物理的におかしい絵、3DCGみたいな、物理的におかしい感じの立体絵、アニメっぽい絵はダメなことが多い気がします。(←もう一度。ダメって、その絵がダメなんじゃなくて、私の受容体が。テレビで動いてるアニメを見るのは静止画より多分平気だと思います)漫画っぽいのはバリバリ流行りの感じの絵でも大丈夫なことがあるのですが、髪型がダメとかいうことも……不思議なんですが。どういう訳かすごく上手いのにやっぱり受け入れられないこともあります。

 そういう絵が表紙となるとやはり、中が読めなくなります。読もうと思っても読めないくらいだからよっぽどきついのかもしれません。もちろん無理矢理読むこともあるし、そこまで深く考えていませんでしたが。好きじゃない絵の顔を見たら、その顔のイメージがずっと頭の中に残ってしまい、その絵でストーリーが繰り返し再現され続けたり、また、何か関係ない別のことを考える時にもその絵で延々と再現されてしまったりして、しばらくずっと嫌な感じで私についてきてしまうような……頭の中支配されるようで怖いのかな??  気を悪くされた方本当すみません。ここまで絵のことを悪しざまに言ったのは初めてで、この点では私は悪人だなと思います。言わなきゃいいんだけどどこかで吐き出したかったのかも。普段人前では黙ってるけど実は余計な事ぺらぺら、かなりおしゃべりなんで。世の中の嫌な人は皆が好きで嫌な人やってるわけじゃないと思うけど……わからないけど。

 

   

  学校の美術の教科書も苦手な絵が多かったです。特に人の絵です。好きでも嫌いでもないんでなく、嫌、見たくない、あっち行って欲しい。考えたくない。というくらいです。自分でも何かえーーー??? 何でってなります。逆にすごく好きな絵もたまにあるんですが、好きなの以外はあまり目に入れたくなかったです。何でしょう。絵の中の情報量が多すぎるとか?? 印象が強すぎる? 私の中の理想や完璧を求めすぎ? 私の中のコンプレックスを刺激する? 絵から受ける何らかのネガ感情や差別意識(か何か?)を認めたくないから? 違うかな、何だろう? 誰か教えて欲しいです。

 人以外なら写真は(幽霊とか怖い虫とか以外)何でも大丈夫で、というかそういえば子供の頃から私は写真を撮る時に人を入れるのを極端に嫌っていました。端っこにちょこっとでも写って欲しくなくて修学旅行でも(写ルンです)人がいなくなるのを待って景色や花を写したり。だから自分も本当は写らなくてもよかったし。ただ、人物の写真は、自分の子供と、他人だと「私好みの」美少女の写真みたいなものなら大丈夫です。お人形は全然問題ありません。

 写真を見るのは割と好きです。また、写真や絵でない、実際の人や動物や風景では視覚的に苦手ということは特にありません。現物を見る感覚は他の人とそんなに変わらないと思います。

 何かなあ。墓場まで持っていくべきことだったかもしれません。(現在はストラテラを飲んでいるせいか??人の絵を見てもそんな苦しくない気がします。そんな嫌な気持ちというのがこの薬で治るもんなのかよくわからないですが)

    

 

 

 その他、お年寄りによく聞くような(汗)商品名がわからない問題とか。私はこれじゃなきゃ駄目な気がする拘りを持ってしまうことがあり、いつも大体決まった商品を買うんですが、パッケージの見た目で覚えていて、商品名やメーカーがどうしても覚えられません。パッケージが変わるとかなり焦ります。増量、とかはいいけど。

 ハンドソープ、シャンプー、洗剤などは詰め替え用を買ってるので中身を間違えると困ります。ああいうのは違うメーカーで似たようなのがあるのと、店舗によって同じシリーズでも扱ってる匂いが違うのはよく間違えてかなり困りました。(せーり用品は本当に似た感じのパッケージが多くて、いつも同じのを買いたいのにいつも違うのを買ってしまいます。あれも結構自分に合わないのが有るのでかなり慎重に探しますが、間違えます。切実。)

 こっちはまあどうでもいいのかもですが、私は以前レトルトカレーの「カレー職人」を試食して美味しいなと思い、買う時はそれを買うようにしていたんですが、カレーのパッケージって結構皆さま似てるので、間違えて咖喱屋カレー」を買ってしまうことがあります。漢字も何も全然違うんですが、視覚で覚えてると言っても所詮私の脳、その程度の見た目しか覚えていませんし、人の顔を間違えるような感じでかなり混同します。画像検索してみたら縦書きか横書きかも違った。そして名前もメーカーも思い出せないので店員さんにも聞けないし、店頭にカレー職人が見つからなかったら近所の店で売ってる咖喱屋カレーばかり目に入ることになるので、今度はその画像が頭に定着してしまい、今度はこれがあの美味しかったやつだと思い込んで、油断するとわざわざこれを買ってしまいます。でも味が全然違うので買い間違えると本当に嫌なんです。

 

   

 

 よくいろんなもの間違えて買ってイライラしてしまい、やっぱり拘ってしまうんですね私は……。

 

  周りを見ると、特に発達障害とかでなくても感覚の優位性が人によって違ったりするみたいですね。

 また、視覚優位の私でも聴覚に過敏になる事はもちろんあります。近くでいきなりシャッター音がしたら、どきっとして凄いキョロキョロしてしまいます。あの音は一瞬で理解できますね。電子音とはいえ。これは以前盗撮被害に遭ったからあの音と結び付いたというのがあると思いますが、結構街中で聞こえてくるんですよね。聞き逃してないとは言えませんがかなり過敏になってます。あと、盗撮じゃないけど外国人観光客が街の風景とか人波とか撮ろうとしてこっちにカメラ向けるのやめてほしい。後ろでカシャとか聞こえると、ん?!?!?! ってきょろきょろしてしまい。本当に嫌で逃げ回ってます。この話題はまた違う問題かも。

 

 ADHD日記、すみませんまたつづきます。あと1つか2つ?

やばめだけど日記(3)…幼少時から苦手だったこと

 軽めだとはいえ、ADHD的な傾向は生活に支障が全くないわけではなく、しんどいこともありました。私はまだましな方なのですが。人と会話が通じなかったり、人に急に何か言われたら全く頭に入らなくてぽかーんとしてしまったり。何か集団で浮いててみそっかすっぽいところもあったし、皆と遊ぶこともないわけではないけれど基本的には一人でいたし。

 

  

 また、片付けが大の苦手で。一年に一回、大みそかに家族で大掃除をする時にかなり強制的にものすごい時間をかけて、テレビも観ずに年が明ける頃にやっと部屋が片付いていました。昭和の複数兄弟家庭で、今とは比べ物にならないくらい自分のものが少なかったのにその状態なので、大人になって物が増えに増えた今はもうとんでもないことになってます。学校の自分の机の中がごちゃごちゃなのを、友達にいいつけられて初めて先生にバれ、それ以来ずっと通知表の整理整頓の項目が「がんばろう」に。でも大人になって「部屋が片付けられない」と言っても、私も、と言われることは多いです。皆片付けは苦手らしいです。だからこれは普通なのかも? 親がいつ怒鳴り込んでくるかわからない状況で大掃除すれば(物が無い分)何とかなっていた気もするのですが、今は全然ダメで。片付け方がわからないし、何をどこへ置けばいいかを決められない。かなり気合入れて長時間大片付け大掃除しても全くきれいになっていなくてがっかりします。どこへ置いたらいいかわからないものがどんどん積み上がっていって、なんで?? って。何故か学校では掃除の時間誰よりも真面目に掃除して、クラスで一番掃除を頑張ったからとシスターからご褒美のマリア像を頂いたくらいなのに。私は性格はすごく真面目で、すべきことはすぐに、完璧にしないと気が済まないところもあるんです。学校のように掃除当番の担当箇所も掃除の手順や使う道具も、掃除用具入れもゴミ置き場の場所も決まっていてそれをすればいいだけというのは楽だったんです。でも、自分で全部決めてするとなると応用が全くきかないんです。整理整頓という大変なことは考えるだけでも気が重くて、後回しにしちゃうんですね。そう、大変だと思うとすぐ後回しにしてしまうというのも普通だとは思うんですが。でも人より極端に大変だと思ってしまう気がします。というか、大変です。

   

 時間の感覚がわからないので曜日もすぐ間違える。今日定休日じゃないかどうか調べといて、と言われて調べて、ここは水曜休みだから今日は大丈夫だ、と思って人と一緒に行ってみたら水曜日で休みだった、というようなのは結構普段からあります。年月日もわからない。今が何月なのかもわからない。週一回〇〇をしましょう、フィルター掃除は月一回くらいの頻度でしましょう、というのも、前回がいつなのか全然わからないし、メモするのも忘れるし全てが大変すぎてメモまで気が回らないし。するべきことを全て忘れる。これは今薬を飲むようになってもまだ治りきらなくて、昔から月に何度も通院しているのですが、「今月初めての診察でしたら保険証を出してください」と言われても、どうやったら自分が今月初めてかどうかわかるのかもわからなくて、カレンダーを見ても今日が何月何日かわからなくて、前回が何月何日かもわからなくて、しばらく考え込んでしまい、考えてもわからなくて、とりあえず保険証を渡しておいたりします。そんなこと聞かれてわかる人がいるの? と不思議に思ってました。

 

  忘れ物なんてしないよ!ちゃんとわかってる!前の日から準備してるし!ちゃんと入れたし!と思ってるのに何故か入ってない。忘れる。何年も通っている学校でも全然違う顔の先生を混同してしまう、人の顔も名前も覚えられない、聞いても右から左でその場で忘れる、何度か会ってるのに会わなくなったらもうその人の名前も、存在すら思い出せない、というのも当然のように治らないし、小学校の頃のことはそもそももうよく覚えていないです。

っていうことはずっと昔からありました。

 

  

  これも昔からですが、本を読むと、出てきた言葉に反応して全く違うことを考え始めてしまいます。この言葉は別の読み方があるだろうか、とか調べ始めて本を読むのを忘れたり、過去にその言葉を自分で使った時のシチュエーションを細かく思い出してずっとそれを辿っていたり。

 また、私は実家にいた頃はあまりテレビを観なかったのでよくわからなかったのですが、ドラマや映画を観る集中力が続きません。テレビドラマはまだコマーシャルなどがあるのでふらふら歩いたりできるし、途中から見てもわかるように結構うまくできているから途中が抜けてもなんとなく話がわかるし、まあ途中で見るのをやめてもすぐその番組のことも忘れるのでそんなに困らないです。テレビでやっている映画は途中でどうしても立ってどこかに行ってしまうんで、わからなくなって途中で観るのをやめたり。映画館や劇場へ行って観るお芝居などは、結構好きだと思っているものでも途中で飽きて考え事とかしていることが多いです。テレビのバラエティ番組などは、好きな番組で楽しみにしているのにいつも何故か盛り上がっているところでふらふらっと立ち上がって台所で今しなくていい洗い物を始めてしまったりします。これまであまり意識していませんでしたが。(あと、大河ドラマみたいな人がいっぱい出てくるのでは、顔の区別がつかないので、主人公すらどの人かわからなくなり、誰が誰だか、また誰が何を言っているのかわからず、話が全然わからないから見られません。)

   

 私にはそれが普通のことだったのでとりたてて人に言ってはいなかったかもしれませんが、電話も苦手でした。仕事で電話を人に取り次ぐ時、まず相手の名前がよく聞きとれない(いつも人の話が聞き取れないので聴力が少し弱いのかと思ってましたが検査すると全く異常なし)、相手の会社や名前が覚えられない、というか頭に全く入らなくて右から左になってしまう。だから即座にメモするけどあちらが「~~さんいらっしゃいますか」みたいに話しているのを聞きながら書くのも無理で(書いていると相手の話が全く耳に入らないことがあるので注意して聞かないといけない)、名乗られた端から復唱とか「ちょっと待って」とか言えないし、こっちがしゃべる段になっても黙って書いてる訳にもいかず、「いつもおせわになっております~~」「少々おまちください」みたいなことを言いながら必死でガリガリ書いてたメモを見ると、間違ったひらがなの「おセわ」っぽい感じの(セがカタカナっぽく文字が間違ってたり)文字しか書いてない。私が言った「お世話になってます」のおせわ、が……。定型文であっても違う言葉を発しながら文字が書けないのです。一通り話した後で、申し訳ありませんが、ともう一度名前を聞くけどまた一度で聞き取れないのです。何度も何度も聞くのも悪いし、復唱しても間違えるし……。そういうので怒られるし結構周りも困ってた。でもそういう、電話受けるのが苦手な人はやっぱり普通にいるのでそれが大問題になったりはしなかったと思います。多分。

 学校の授業はどちらかというと一方通行なので、双方向の会話より余裕があったのか、いつも必死で先生の話を聞いて、ノートに先生の話を全部書いてて、すごいねえらいねと言われてましたが、実は授業そのものを全く覚えていないので後から見直す自分のノートはいつも初めて読む参考書のように感じていたのでした。だから完璧に書いておかないと訳がわからないのです。

 ただ、文字にしておくと、そのノートの見開きをじーっと見て、いらない紙に手で書いて、覚えて寝ると次の日には頭にそのまま定着していて、それでしばらくはかろうじて覚えることができ、頑張ればテストでもいい点が取れました。視覚優位というらしいです。見て覚えるのが得意という訳ではなく、耳で聞くよりまだまし、という程度です。先生が黒板に説明のために適当に描いた絵なんかは今でもぼんやり覚えていたりするのですが。

 もちろん、全く何も覚えられない訳ではなく、かなり苦労した語学なんかも自分で何度も何度も同じ文を暗唱して覚えたりはしていました。

 

 また、私は親がピアノの先生で、家に教室があって幼稚園から高校2年くらいまで、中学受験の時に2年位休んでいたことはあるのですがずっとピアノを習っていました(過去のことを覚えていないのですが多分)。十年近くやって、弾けるようになりませんでした。楽譜が読めなくて(ゆっくりド、レ、ミ、と数えたら読めるのですが、何度も楽譜を見てても次の時には音がわからず、楽譜を目の前に置いて弾こうとしてもスピードが速すぎて、音が上がる、下がる、しかわからない)暗譜も苦労しましたがどっちみち覚えて「上がる、下がる」で今どういうフレーズを弾くべき場面か判断するしかなかったので、今でも楽譜はその程度しか読めないです。で、習ってる時でも大学生になってからもいきなりピアノ弾けと言われたらねこふんじゃったしか弾けなかったし、何度も練習した楽譜を見てもまた一からになるので、楽譜とにらめっこでも指が動かせなかったです。と言ってもしばらくの間は覚えていられて3,4曲は楽譜を見ながらなら弾ける時期はありました。(そして忘れてまた一から)

 タッチタイピングとかもどうやって自分で指を動かしているかわからないので、そういうのは多分多かれ少なかれ皆そうで、普通なんじゃないかと思うのですが、十年やっても新しい曲になるとまた一からというのはどうなんだろう。指の力とか、別の技術的な部分はもしかしたら成長していたのかもしれませんが、自分ではいいのか悪いのか全然わからなくて、最後まで止まらずに弾ききれたらまあいいですって感じで大体合格させてもらってたのでした。

 

 人間関係では、仲間みんなでわいわい仲良くするのはあまり好きじゃなくて、空気読めない、とかいうことは陰で言われていました。変なことして微妙な空気になることもよくあって、そういうのも実は結構自覚していた気がします。でも特にそれで意地悪されたりするわけではないので、私はそのままでいたのでした。心療内科のせんせーにも診断結果が出た後になって、「質問に対して帰ってくる答えがちょっとずれてることがあるなあとは思ってました」と言ってて、確かに私もそれは、あれっ、今の返答は考えてみたら変だったのかも、違うことを聞かれていたのかも、あれ、何の質問されたんだっけ、わかんなくなっちゃった、とかは自分でも感じていました。空気を全く読み取れない訳ではなく、空気を読んでそれをふまえた言動を取ることができない、ということなんだと思います。

 

f:id:nanori_nigatsu:20170408200906j:plain。。。 という感じで、生活できないと言うには結構微妙で、それだけならさほど大袈裟に考えなくてもよかったのかもしれないです。真面目だから面接の印象もいいし、就職できない訳ではないのかもしれない。パートで勤めたところでは「こんなきれいな履歴書初めて見た」と言われたこともあります。仕事も真面目にするから褒められたりできる人、と思われたりすることもありました。場所を選べばなんとかかんとかできないこともなかったかもしれません。

 ただ、私は十代の頃ストレスから発症したと思われる難病で日常生活がかなり不自由でした。その難病もコントロールできていたら普通の人と同じようには頑張れるかもしれないのですが、ADHDのせいかコントロールがかなり難しくて、いつも混乱して訳がわからなくなっていました。ADHDと難病。どっちか片方だったらまだ、「普通」の範囲で生活できたんじゃないかと思います。でも、これが重なって、また、子供が生まれてからは全てができなくなってしまい、既にメモリオーバーになっていました。それでパニックになってせんせーに泣きついたら、臨床心理室に送られることになったのでした。 

 またつづく。

やばめだけど日記(2)…ADHDと診断

  さて、意味不明なタイトルつけてしまったのに長くなりそうで焦ってますが、日記つづきです。

 自分でも概要がわかっていないので、整理するためにもここにまとめてみます。

 十年ほど前に飛行機で行くような遠い所の病院の心療内科に半年ほど入院したことがありました。その時の主治医が私の退院直後に偶然私の住む関東隣県に異動することになって、退院後その病院に通っていました。それから数年後もっと近くの病院にそのせんせーが異動してきて、今はそこへ通っています。だからせんせーには十年くらい診てもらっていることになります。もともと難病の方での治療からの入院だったのですが、その他いろいろ身体に不調が出てきてしまうのでよくわからないことになっていて、不安障害などの診断はついていました。長年眠れる薬や不安を抑える薬などを処方されていたんですが、何故か数か月前になって急に臨床心理室に送られ、心理士さんと一対一でいろんなテストを受けました。結果、はっきりADHDと言えるわけではないけれど注意欠陥のそれが疑われる、という程度の診断が出てました。心理士さんとのやりとりで出たものはそれで終わりなので、あ、私はADHDではないということなのかな? と思ったら、その後は長年の主治医であるせんせーがその他のいろんな部分を見て結論を出したらしく、最近になってまたよくわからないのですが私はADHDということになっていました。知能検査も受けたのですが一応ほとんど普通の範囲で、でも作動記憶の部分だけが他と比べると極端に低く出ていたのでそれが決め手で、軽く発達障害ということに落ち着いたらしいです。作動記憶は、流れていくような情報を覚えている機能のことで、ワーキングメモリとも言います。数秒程度の短い時間内に物事を覚えて、それを処理していくようなことで、発達障害の人はそれが苦手という特徴があるのだそうです。わかりやすく説明する為に、もっと大掛かりなことになるのでちょっと違うかもしれないけど大雑把にこんな感じというので書くと、例えば競技かるたで札の並びがどんどん変わる、その一時的な状態を記憶し、どの札が読まれどの札がまだとか、常時更新していく情報を捨てたり拾ったりしながら頭の中で処理する(今の状況から次に読まれる札の頭の何文字で特定の札を取ればいいかとかを判断したり)みたいな。(競技かるたどころか、私の場合買い物に来て、人参と長ネギが必要なのに今家に無いから今から探して買おう、ついでにあのお菓子が安くなってたら買っておこう、というのを頭に入れた状態でスーパー内を動くのもかなり苦手です。家で座って考えてると普通にできそうなのに、実際スーパーに行くとほぼ買えません)

 

 帰納法的な考え方は結構苦手だけれどゆっくり考えればいろいろ論理的に考えることもできるし、人の気持ちが全くわからないわけでもないし、つまり、私はそれほど生きるのに支障はない、と周囲からは判断される範囲だけれど、軽いADHDなのかな、とやっと最近理解して(こういう理解が本当によくわからないのです。かもしれない、とか疑いがある、とかいう曖昧な言葉が混じると〇×どっちかに自分で勝手に結論を持って行ってしまっていつの間にかそれが正しいと思い込んでいたり。)います。

 

 またつづく(多分)

やばめだけど日記(1)

――他の人はもっともっと大変だと私は思っているし、自分だけが大変だと思ったりすることは無いと思う。私は結構恵まれている方だと思う。私は割と運が良くて、人にも恵まれて親切にしてもらうことがいっぱいあってその点は正直感謝している。私は誰に聞かれてもそう言うしそう思ってる、と自分で思ってる。そんな私でさえ苦しいんだから、生きることは凡て、大変なことだと言ってる。ただ、どこかいろいろと矛盾しているようだけど、世界全体への憎しみや怒りが消えない。これは前提。

 

 先日心療内科の方の主治医に、やっぱり私はまだまだ努力が足りないんじゃないかと思うと言ったら、せんせーは、悪いけどはっきり言ってできない人はどう頑張ってもできないんだよと……。まあそうなんですね。この歳までどうしてもできなかったことを努力でどうにかするのは無理というのもわかるし、私の場合怠け者だから努力できないんだと思い込んでいたけど、そう思いつつ自分でも認めるけど小さい頃から真面目ではあって、真面目に真面目にやってると結果潰れて心身酷いことになって、結局入院。またちょっと入院を勧められた。まあ小さい子供がいるんで現実的じゃないけど。

 だから最近あんまり努力もしてなくて。努力すればできるであろう(実際はできない)はずなのに努力しないということに対して寛容な人はあんまりいないですよ。他人は別に何とも思わないかもしれないけど、影響を受ける人たちとか、家族とかにしてみればたまったもんじゃないでしょう。かなり匿名ブログっぽいのでここでは書くけど、世の中には努力していないことを隠し続け、ずっとダメな人でダメな人のままダメな人生をいくしかないのかなーと思ってました。

 私と同じ身体的な持病のある他の人は結構、注射さえしてれば普通の人と同じように生きられると言ってるから、きっと私もそうできるんだろうと思ってたけど、結局できなくて(数日前も意識を失いかけてたけど幸い保健所内だったので万一私が意識を失ったとしても子供を守ってくれるひとは大勢いた)やっぱ駄目かもとせんせーに言ったら、普段あんまりアドバイスのようなことをしてくれないせんせーが上記のように言われた。この先生はあんまり頼りにならないし、とんちんかんなことばっか言って「えっそうだったっけ? 前から? そんなこと言ったことある?」とか、私はずっと言ってたじゃん!! ってな感じで、先生の方針や言ってることが迷走したり、勘違いしたまま余計な事を言ったりしたり……大丈夫なのかなこの先生と思う時もある。しかし私がこの人は敵じゃないと思っている数少ない人の一人なので、やっぱりどこかで私はせんせーを信頼しているのかもしれない。十年くらいの付き合いだけど何故か初めからずっと私の感じ方は同じだった。

 

つづく予定。(多分)